与保呂上村(読み)よほろかみむら

日本歴史地名大系 「与保呂上村」の解説

与保呂上村
よほろかみむら

[現在地名]舞鶴市字与保呂

三国(みくに)岳に発する与保呂(よほろ)川の上流与保呂谷の最奥に立地し、川を挟んで集落が散在する。山深い山村のため薬草が多く採れ(旧語集)、独活や蕨を産した(丹後国加佐郡寺社町在旧記)。

地名の起りについて京都白川家に伝来したと称する「丹後風土記」残欠は、「所以(虫食)与保呂者古老伝曰往昔仍乎豊宇気大神之神勅於此地神人仕丁等被置之故云(虫食)保呂矣」とする。

古代は椋橋(くらはし)郷(和名抄)の地とされ、中世は倉橋(くらはし)庄として推移した。地名の初見は建長三年(一二五一)八月三日付の将軍(藤原頼嗣)家政所下文(朽木文書、以下同文書については個別文書名のみ記す)に、

<資料は省略されています>

とみえるもの。倉橋庄与保呂村の地頭職は平光度に補任された後、池流平氏により代々譲与相伝された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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