木之庄村
きのしようむら
[現在地名]福山市木之庄町
吉津村の西に位置する。中世には吉津庄に含まれ、荘内の「木庄」が正平八年(一三五三)足利直冬によって周防阿弥陀寺(現山口県防府市)に寄進されている(同年一一月二四日付「足利直冬寄進状」阿弥陀寺文書)。
建武元年(一三三四)近江国永源寺の寂室を招いた「平居士」なる人物は当時木之庄を支配していた杉原氏の一族であろう。禰宜坂に正成寺跡があって、正保年中(一六四四―四八)西迫に移したというが(福山志料)、同寺は寂室が開いたと伝える。また坊山に津島寺跡があり、寺は天文年中(一五三二―五五)まであった(西備名区)。三木寺跡は三津木にあり、開基は大同年中(八〇六―八一〇)と伝え、その跡に行基作と伝える観音を収めた観音堂が所在(備陽六郡志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 