日本歴史地名大系 「木六城跡」の解説 木六城跡きろくじようあと 新潟県:南魚沼郡塩沢町大木六村木六城跡[現在地名]塩沢町大木六 殿屋敷大木六(おおきろく)集落の中央、字殿屋敷(とのやしき)にある。明治一三年(一八八〇)大木六小学校建設とその後の拡張によって遺構は消滅した。昭和四六年(一九七一)の調査では、学校の敷地北側から南東にわたって土塁の跡が、幅三メートルで曲尺状に認められた。その外側に小さい用水堀があったという。城主尻高氏は関東管領上杉氏の家臣で、尻高(しつたか)城(現群馬県吾妻郡高山村)を本貫とする国人とみられ、寛正四年(一四六三)以前に管領家の所領上田(うえだ)庄に入り木六郷を拠点としたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by