木引田町(読み)きひきだちよう

日本歴史地名大系 「木引田町」の解説

木引田町
きひきだちよう

[現在地名]平戸市木引田町

平戸城の南西にあり、かがみ川河口の左岸に位置する。本町ほんちよう通六ヵ町の一つで、天神てんじん町・吉野よしの町・善積ぜんつみ町三ヵ町の総称であった。天文年間(一五三二―五五)松浦隆信(道可)が明の五峯王直に与えた居宅は当地の北西印山寺いんざんじ屋敷にあったとされ、唐風の壮大な屋敷が建造されたという。慶長年間(一五九六―一六一五)には本町などとともに「木引田」の町が成立していた(「御判物拝領之者書出」松浦史料博物館蔵)。元和九年(一六二三)「平戸木引田」の「唐人加ひたん」(交易を営む中国人の頭人、つまり李旦であろう)の名代として喜右衛門が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人帳」橋村家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報