木村喜之(読み)きむら・よしゆき

朝日日本歴史人物事典 「木村喜之」の解説

木村喜之

生年生没年不詳
江戸中期の幕府役人。名は又助,また勘蔵とも称した。父八左衛門政重は吹上御庭口番であった。妻は久保田氏の娘。はじめ吹上御庭役人の目付を勤め,のち筆頭役となり,そのあと浜御殿の添奉行に転じた。幕命を受け,紀州(和歌山)藩領農家で,はじめて砂糖を製造した安田長兵衛から製糖法を学び,寛政9(1797)年,『砂糖製作記』を著し,刊行した。当時の製糖技術は口伝えで,多くは秘伝とされていたので,実際の甘蔗栽培,製糖作業体験に裏づけられた技術体系を知ることができる書として価値が高い。<参考文献>樋口弘『日本糖業史』

(岩橋勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む