御触書集成(読み)オフレガキシュウセイ

デジタル大辞泉の解説

おふれがきしゅうせい〔おふれがきシフセイ〕【御触書集成】

江戸幕府成文法である御触書評定所(ひょうじょうしょ)で編集したもの。延享元年(1744)8代将軍徳川吉宗のときの「寛保集成」50巻をはじめとし、以後、「宝暦集成」33巻、「天明集成」51巻、「天保集成」107巻がある。御触書

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百科事典マイペディアの解説

御触書集成【おふれがきしゅうせい】

江戸幕府の法令集。幕府が御触書(おふれがき)を中心とする幕府諸法令を整理編集したもの。原本は国立国会図書館・国立公文書館などが所蔵。将軍徳川吉宗は法令の整備に努め,1742年の《公事方御定書(くじかたおさだめがき)》制定後,評定所に法令の整理編集を命じた。1744年に1615年から1743年(寛保3年)までの分がまとめられ,以後1744年−1760年,1761年−1787年,1788年−1837年の分が成立した。これらはいずれも《御触書》が書名であるが,成立時の年号を冠して《寛保集成》《宝暦撰集》などと呼んで区別することもあった。刊本に高柳真三・石井良助編《御触書寛保集成》《御触書宝暦集成》《御触書天明集成》《御触書天保集成》がある。幕府の法令集には私撰のものも各種伝わるが,各集成は官撰のものとして価値が高い。
→関連項目享保改革

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世界大百科事典 第2版の解説

おふれがきしゅうせい【御触書集成】

江戸幕府の法令集。江戸幕府では通常の単行法令は,必要に応じて御触書の形で公布した。狭い範囲の人や役所にあてられたものを,とくに御達(おたつし)という。高札(こうさつ)も御触書の一種と見てよい。御触書は老中,若年寄の合議体である御用部屋で方針を定め,奥右筆組頭が調査,起案し,将軍の裁可によって制定法となる。表右筆は書付(かきつけ)と称するその写しを作成し,支配の筋に応じて諸方面に配布した。大名には大目付が殿中で渡し,あるいは留守居を老中宅に召して手交した。

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大辞林 第三版の解説

おふれがきしゅうせい【御触書集成】

江戸幕府の成文法である触書を編纂した法令集。寛保・宝暦・天明・天保の各期に前後四回編纂された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御触書集成
おふれがきしゅうせい

江戸幕府の評定所が編纂した幕府官撰の法令集。『御触書集成』は、1934年(昭和9)に刊行が計画された際に新たに冠せられた書名で、『御触書寛保集成』『御触書宝暦集成』『御触書天明集成』『御触書天保集成』の総称である。8代将軍徳川吉宗は、1742年(寛保2)にいわゆる「公事方御定書」が完成した直後、それまで個別に出されていた幕府法令の編纂を命じた。これは、1744年(延享1)に完成し、そこには1615年(元和1)以降の触類が収められ、「御触書」(寛保集成)と称した。その後、この事業は評定所に創設された御定書掛三奉行を中心に継続され、10代家治(いえはる)による『宝暦集成』、11代家斉(いえなり)による『天明集成』、12代家慶(いえよし)による『天保集成』が完成した。13代家定も御触書編纂を企図し、その作業が開始されたが、完成には至らなかった。その欠を補うために幕末期の触書類の編纂を待望する声が上がり、これに応えるかたちで1992年(平成4)から1997年にかけて、日本法制史の研究者の尽力によって編纂・刊行されたのが、『幕末御触書集成』である。[坂本忠久]
『石井良助著『民法典の編纂』(1979・創文社) ▽石井良助・服藤弘司編『幕末御触書集成 別巻』(1997・岩波書店) ▽石井良助・服藤弘司編『御触書集成目録 解題』(2002・岩波書店)』

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