木村彰一(読み)キムラ ショウイチ

20世紀日本人名事典 「木村彰一」の解説

木村 彰一
キムラ ショウイチ

昭和期の言語学者 東京大学名誉教授。



生年
大正4(1915)年1月5日

没年
昭和61(1986)年1月18日

出生地
秋田県五城目町

学歴〔年〕
東京大学言語学科卒業

主な受賞名〔年〕
プーシキン・メダル(ソ連)〔昭和55年〕

経歴
北海道大学助教授を経て東大教授。昭和53年3月に退官後、60年3月まで早大文学部教授。プーシキン、ツルゲーネフの研究で知られ「エフゲニー・オネーギン」など多くの翻訳があり、55年には、わが国で初めてソ連からプーシキン・メダルを贈られた。また、日本で初めてのポーランド語辞典編集に参加した。さらにラテン語辞典の編集にも心血を注いでいた。著書に「ロシア・ソビエト文学史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村彰一」の解説

木村彰一 きむら-しょういち

1915-1986 昭和時代のロシア文学者,スラブ語学者。
大正4年1月5日生まれ。木村謹治長男。北大助教授,東大・早大教授を歴任し,ロシア・スラブ研究の基礎をかためた。訳書にプーシキン「エフゲニー・オネーギン」,著作に「古代教会スラブ語入門」など。昭和61年1月18日死去。71歳。秋田県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の木村彰一の言及

【ロシア語】より

…日本における組織的なロシア語教育は,1873年(明治6)伝道師ニコライが東京に開いた正教神学校,およびその翌年政府の創設した東京外国語学校において開始された。比較言語学に基づく科学的なロシア語の研究は八杉貞利によってその基礎がおかれ,井桁貞敏(1907‐80),木村彰一(1915‐86)らによって発展をみた。第2次大戦後は国際社会におけるロシア語の比重増大の傾向を反映して,日本のロシア語教育も空前の規模に達したが,大学院までの専門課程を備えた大学は日本ではまだ少数である。…

※「木村彰一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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