木村謹治(読み)キムラキンジ

デジタル大辞泉 「木村謹治」の意味・読み・例文・類語

きむら‐きんじ〔‐キンヂ〕【木村謹治】

[1889~1948]ドイツ文学者。秋田の生まれ。東大教授。ゲーテ研究に努め、また、ドイツ語辞書を編纂へんさん。著「『若きゲーテ』研究」など。

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精選版 日本国語大辞典 「木村謹治」の意味・読み・例文・類語

きむら‐きんじ【木村謹治】

  1. ドイツ文学者。文博。秋田県出身。東京帝大卒。同大学教授。ゲーテの研究や独和辞典編集業績をあげる。著「若きゲーテ研究」「マイステル研究序説」など。明治二二~昭和二三年(一八八九‐一九四八

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20世紀日本人名事典 「木村謹治」の解説

木村 謹治
キムラ キンジ

大正・昭和期のドイツ文学者 東京帝国大学教授。



生年
明治22(1889)年1月2日

没年
昭和23(1948)年1月13日

出生地
秋田県

学歴〔年〕
東京帝大文科大学独文科〔大正2年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和8年〕

経歴
大正2年四高教授となり、9〜12年ドイツに留学。13年東京帝大助教授、昭和7年教授を歴任し、ドイツ文学者として活躍。ゲーテ研究に専念し、9年「若きゲーテ研究」を刊行。以後「フアウスト研究」「ウル・マイステル研究」「完成期のゲーテ」などを刊行した。また「和独大辞典」「木村・相良独和辞典」などを編纂

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村謹治」の意味・わかりやすい解説

木村謹治
きむらきんじ
(1889―1948)

独文学者。秋田県生まれ。東京帝国大学独文科卒業。東大教授。ゲーテ研究の第一人者で、『若きゲーテ研究』(1934)はドイツ文学志望者、研究徒に、多大な学問的な刺激を与えた。そのほか『ファウスト研究』『ウル・マイステル研究』『完成期のゲーテ』など、道元禅師思想との比較論を交えて、ゲーテ学の体系化を追求した。また相良守峯(さがらもりお)との共著『木村・相良独和辞典』(1940)でも知られている。

[岩崎武夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村謹治」の意味・わかりやすい解説

木村謹治
きむらきんじ

[生]1889.1.2. 秋田
[没]1948.1.13. 東京
ドイツ文学者。第二高等学校,東京大学卒業。第四高等学校教授を経て東大教授。ゲーテ研究に打込み,『ゲーテ』,『ファウスト研究』 (1939) ,『ウル・マイステル研究』 (41) などの著作がある。また『和独大辞典』,『木村・相良独和辞典』 (相良守峯共編) があり,斯界に貢献した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村謹治」の解説

木村謹治 きむら-きんじ

1889-1948 大正-昭和時代のドイツ文学者。
明治22年1月2日生まれ。昭和7年東京帝大教授。「若きゲーテ研究」から「完成期のゲーテ」にいたる一連の研究で,日本におけるゲーテ学の基礎をきずく。相良守峯(さがら-もりお)との共著「木村・相良独和辞典」でも知られている。昭和23年1月13日死去。60歳。秋田県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「木村謹治」の解説

木村 謹治 (きむら きんじ)

生年月日:1889年1月2日
大正時代;昭和時代のドイツ文学者。東京帝国大学教授
1948年没

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