日本歴史地名大系 「木田余城跡」の解説 木田余城跡きだまりじようあと 茨城県:土浦市木田余村木田余城跡[現在地名]土浦市木田余木田余の低地中条(なかじよう)にあった水城。中条は約三〇〇メートル四方で、周囲に堀がめぐらされていたが現在は水田になっている。初めは台地上にあったらしく、台地には御霊(ごりよう)とよばれる小字があり、その坂下を城(しろ)ノ内(うち)とよんでいるが、堀や土塁の跡はみられない。室町時代に現在の国鉄常磐線の南東側の低地に移った。城主は南野(みなみの)庄の代官信太伊勢守であるが、信太氏が木田余に移った時期は不明。信太氏が天文二三年(一五五四)に滅亡してからは小田氏の重臣菅谷氏の所領となり、その後小田氏治の居城となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by