20世紀日本人名事典 「末弘厳石」の解説 末弘 厳石スエヒロ ゲンセキ 明治期の裁判官 大審院刑事部長。 生年安政4年12月(1858年) 没年大正11(1922)年3月10日 出生地豊後国(大分県) 学歴〔年〕司法省法律学校〔明治17年〕卒 経歴高知、盛岡、山口の各始審裁判所に勤務し、明治25年東京地方裁判所部長、のち大審院判事に転じ、刑事部長に就任した。大正10年退官。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末弘厳石」の解説 末弘厳石 すえひろ-げんせき 1858*-1922 明治-大正時代の司法官。安政4年12月生まれ。末弘厳太郎(いずたろう)の父。高知,盛岡などの始審裁判所判事をへて,東京地方裁判所部長,大審院刑事部長となった。大正11年3月10日死去。66歳。豊前(ぶぜん)宇佐(大分県)出身。司法省法学校卒。本姓は糸永。名は千年。号は「いかし」ともよむ。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by