日本歴史地名大系 「末武保」の解説
末武保
すえたけほ
末武および
「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二三日条に周防国在庁官人らの言上二箇条の一として「為得善・末武地頭
筑前太郎家重令
横
行都乃一郡
打
開官庫
押
取所納米
狩猟為
宗駈
寄公民
掘
城
、任
自由
、押
妨勧農
事」とある。これは筑前太郎家重という地頭らの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
末武および
「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二三日条に周防国在庁官人らの言上二箇条の一として「為得善・末武地頭
筑前太郎家重令
横
行都乃一郡
打
開官庫
押
取所納米
狩猟為
宗駈
寄公民
掘
城
、任
自由
、押
妨勧農
事」とある。これは筑前太郎家重という地頭らの
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...