20世紀日本人名事典 「本多政材」の解説 本多 政材ホンダ マサキ 昭和期の陸軍中将 生年明治22(1889)年5月17日 没年昭和39(1964)年7月17日 出生地長野県 学歴〔年〕陸士卒,陸大卒 経歴陸軍参謀本部員となり、大正10年から3年間フランスに駐在し帰国後、15年歩兵第22連隊大隊長、昭和2年陸相秘書官、11年教育総監第1課長などを経て、12年歩兵第2旅団長、13年歩兵学校校長を歴任。14年中将、支那派遣軍総参謀副長となり、太平洋戦争に突入すると共に、15年第8師団長、17年機甲本部長、18年第20軍(関東軍)司令官、19年第33軍(ビルマ駐在)司令官を務め前線を指揮した。終戦をナンガラで迎え、22年復員した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多政材」の解説 本多政材 ほんだ-まさき 1889-1964 大正-昭和時代前期の軍人。明治22年5月17日生まれ。参謀本部員,陸相秘書官,教育総監第一課長などをへて,昭和14年支那派遣軍総参謀副長となる。のち第八師団長,機甲本部長,第三十三軍(ビルマ駐在)司令官をつとめる。陸軍中将。昭和39年7月17日死去。75歳。長野県出身。陸軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by