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本島藤太夫 もとじま とうだゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本島藤太夫 もとじま-とうだゆう

1812-1888 幕末の武士。
文化9年生まれ。肥前佐賀藩士。嘉永(かえい)3年(1850)江川英竜に砲術をまなび,帰藩して杉谷雍助(ようすけ)らと反射炉建造,長崎港の砲台増築にあたる。藩の海軍所創設にも参画,軍備の近代化に中心となって活躍した。維新後は佐賀第百六国立銀行の経営を指導。明治21年9月5日死去。77歳。本姓は坂井。号は松蔭。著作に「松の落葉」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

本島藤太夫

没年:明治21.9.5(1888)
生年:文化9(1812)
幕末の造兵家。肥前(佐賀)藩士。藩主鍋島直正の信任厚く,藩命により嘉永3(1850)年江川太郎左衛門に砲台築造と大砲鋳造を学び,帰藩して反射炉の構築,大砲製造に従事し藩の大砲製造の先鞭をつける。天保14(1843)年から御火術方,精錬方の師範役。佐久間象山と親交を持つ。藩が幕府から長崎防備を義務づけられたため嘉永3年,鋳砲局主任として長崎の神島,伊王島に砲台を建造。ペルス=ライケンらから操艦,兵式調練を学ぶ。維新後は鍋島家経営に携わり,国立百六銀行の経営を指導。<参考文献>福岡博編『佐賀が生んだ幕末200人の群像』,鍵山栄『佐賀の蘭学者たち』

(影山好一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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