朝日日本歴史人物事典 「本島藤太夫」の解説
本島藤太夫
生年:文化9(1812)
幕末の造兵家。肥前(佐賀)藩士。藩主鍋島直正の信任厚く,藩命により嘉永3(1850)年江川太郎左衛門に砲台築造と大砲鋳造を学び,帰藩して反射炉の構築,大砲製造に従事し藩の大砲製造の先鞭をつける。天保14(1843)年から御火術方,精錬方の師範役。佐久間象山と親交を持つ。藩が幕府から長崎防備を義務づけられたため嘉永3年,鋳砲局主任として長崎の神島,伊王島に砲台を建造。ペルス=ライケンらから操艦,兵式調練を学ぶ。維新後は鍋島家経営に携わり,国立百六銀行の経営を指導。<参考文献>福岡博編『佐賀が生んだ幕末200人の群像』,鍵山栄『佐賀の蘭学者たち』
(影山好一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報