改訂新版 世界大百科事典 「第2次英米戦争」の意味・わかりやすい解説
第2次英米戦争 (だいにじえいべいせんそう)
1812年アメリカとイギリスの間で起こった戦争。英米戦争とも呼ぶが,アメリカでは〈1812年戦争The War of 1812〉という。1793年以降,特にナポレオンの時代の英仏間の戦争に際し,アメリカの海上貿易は中立国の立場を利用して大いに繁栄した。同時に英仏両国がアメリカ商船の航行の自由を侵害する事件も頻発した。アメリカ政府は1807年,自国船の出港を禁止するなど中立維持に努めた。しかし1801年以来の与党リパブリカンズは元来,親仏的だった。特にインディアン追出しと,カナダとフロリダへの領土拡張を望む南部と西部で対英好戦派が台頭し,12年6月アメリカ政府はイギリスに宣戦した。カナダ国境に近く,イギリス軍の海上封鎖を恐れる北東部では,この戦争は最初から不人気だった。宣戦数ヵ月後の大統領選挙では,結果的には再選されたものの,現職大統領J.マディソンはほとんどの北部諸州で敗れている。カナダ国境での戦局が一進一退している間に,ヨーロッパではナポレオンが敗北し,14年8月首都ワシントンがイギリス海軍によって占領され,焼打ちに遭うという事件も起こった。カナダ獲得の夢は絶たれ,財政はひっ迫し,親英的な野党フェデラリスツは政界再編成に動き出し,政府は苦境に立ったが,14年12月24日,ベルギーのガンでの講和成立に持ち込んだ。この講和の直後15年1月,その知らせが伝わる前に,A.ジャクソン将軍がニューオーリンズでイギリス軍と会戦し大勝利を収めた。この勝利によってやっと政府は面目を保ち,逆に戦争に反対したフェデラリスツの政権奪還の機会は失われた。この戦争でイギリス側についた多くのインディアンが土地を追われ,以後アメリカ政府はイギリスに干渉されずに,インディアン諸族をミシシッピ川のかなたに追い立てることが可能となった。スペインからの西フロリダの奪取も,アメリカ政府にとってのもう一つの成果であった。しかし,この戦争は意図せざる結果をももたらした。戦時に急成長した国内製造業を戦後のイギリス産業の輸出攻勢から守り,戦費調達による財政破綻を打開するため,与党のリパブリカンズは従来の農本主義のたてまえを捨て,製造業保護政策と合衆国銀行の再建を推進することになった。
執筆者:安武 秀岳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報