日本歴史地名大系 「本所相生町四丁目」の解説 本所相生町四丁目ほんじよあいおいちようよんちようめ 東京都:墨田区旧本所区地区本所相生町四丁目[現在地名]墨田区両国(りようごく)四丁目本所相生町三丁目の東に続く片側町。南は竪(たて)川に面し、対岸は本所松井(ほんじよまつい)町二丁目、北は寄合本多氏屋敷など武家地。もとは明地であったが、本所相生町三丁目と同様に元禄六年(一六九三)川筋ならびに外堀常浚の助成地となり、相生町四丁目と称された。同一〇年北側と南側河岸地の各三間が六間堀(ろつけんぼり)町(現江東区)、北側と南側河岸地の各一三間余が深川元(ふかがわもと)町(現同上)の代地となった。町内間数は東西が四〇間余、南北が二〇間。江戸川常浚上地二ヵ所、同朋衆平井尊阿弥拝領町屋敷があり、六間堀町代地三畝歩・高三斗余、深川元町代地一反余・高一石余は年貢地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報