本洗馬村(読み)もとせばむら

日本歴史地名大系 「本洗馬村」の解説

本洗馬村
もとせばむら

[現在地名]塩尻市大字洗馬 あし上組かみくみ太田おおた

奈良井ならい川が松本平の出口に構成する河岸段丘左側の上下にある集落

洗馬庄の中心地で六斎市も開かれたであろう。長享二年(一四八八)の下諏訪春秋両宮御造宮帳(諏訪大社上社文書)には「蘆田あしのた」と記載されている。以後、洗馬郷・洗馬村などとよばれたが、本洗馬村とは、中山道洗馬宿ができて、それと区別したためである。天文二四年(一五五五)三村氏滅亡後は武田氏や松本藩の支配下に入り、元和四年(一六一八)高遠領となる。洗馬郷の中心地となり大庄屋が置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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