日本歴史地名大系 「本牧本郷村」の解説
本牧本郷村
ほんもくほんごうむら
東から南にかけて海に面し、西は
永正九年(一五一二)一二月六日、北条早雲・氏綱父子は、平子房長に対し「本目四ケ村」についての制札を下している(「宗瑞・伊勢氏綱連署制札写」県史三)。天文一九年(一五五〇)四月一日、北条氏の諸郷公事赦免により「五百貫文 武州久良岐郡本牧郷」は役銭二〇貫文を、六月・一〇月の両度に納入することが命ぜられている。廻陣夫(夫銭八貫文)・陣夫・大普請・玉縄城米銭は免除されていない(「北条家朱印状写」同書)。天正四年(一五七六)七月二日、本牧郷の住民は年貢の半済を訴え、北条氏政の意向により、その代りとして本牧より
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報