新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「本田恒之」の解説 本田 恒之ホンダ ツネユキ 肩書衆院議員(民政党) 旧名・旧姓旧姓=下田 生年月日文久2年4月(1862年) 出生地肥前国島原(長崎県) 学歴専修学校〔明治18年〕卒 経歴明治9年鹿児島に遊学、ついで上京し専修学校で法律、経済学を学んだ。東京で代言人となり、雑誌「法叢」を発行。28年長崎で弁護士を開業、長崎市弁護士会長となった。また市会議員、県会議員に数回当選。45年以来衆院議員当選7回、民政党に属し、司法政務次官となった。のち国民同盟に参加、同党顧問、長崎支部長を務めた。 没年月日昭和9年2月4日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田恒之」の解説 本田恒之 ほんだ-つねゆき 1862-1934 明治-昭和時代前期の弁護士,政治家。文久2年4月生まれ。東京で弁護士となり,法律雑誌「法叢(ほうそう)」を創刊。明治28年郷里の長崎県にもどって弁護士を開業,長崎市弁護士会会長をつとめた。45年衆議院議員(当選7回,民政党)。昭和9年2月4日死去。73歳。専修学校(現専修大)卒。本姓は下田。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by