本野上村(読み)ほんのがみむら

日本歴史地名大系 「本野上村」の解説

本野上村
ほんのがみむら

[現在地名]長瀞町本野上

藤谷淵ふじやぶち村の北、荒川左岸に位置する。東は同川を境に井戸いど村、西は雨乞あまごい山を境に金沢かねざわ(現皆野町)、北は中野上なかのがみ村。秩父往還が荒川に沿って南北に通り、同往還の馬継場であった。井戸村との間には荒川を渡る金石かねいし渡があり、冬季には土橋が架けられていた(風土記稿)。永禄八年(一五六五)一月一五日、北条氏邦は「野上」の足軽衆中に対して、足軽衆三〇騎を三番に組み、一〇騎ずつ三日間の出役を命じている(「北条氏邦印判状」逸見文書)。天正三年(一五七五)三月二日、氏邦は「野上之内金井分」一五貫文の地を四方田土佐守に宛行っている(「北条氏邦印判状写」武州文書)。ただし、この下地は前々より散田で百姓無住のため、氏邦は土佐守に百姓を集めることを命ずるとともに諸役を免許している。同一〇年八月二一日、氏邦は山崎弥三郎の「阿形岩」における戦功を賞して、「野上用土分」など二一貫三五〇文の地を宛行っている(「北条氏邦印判状写」風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む