杉坪村(読み)すぎつぼむら

日本歴史地名大系 「杉坪村」の解説

杉坪村
すぎつぼむら

[現在地名]浦川原村杉坪

保倉(ほくら)川支流猿俣(さるまた)川の左岸にあり、南は横川(よこかわ)村に接し、東は山稜を越え上柿野(かみがきの)村・下柿野村。永正一〇年(一五一三)三月七日の越後守護上杉定実袖判守護代長尾為景安堵状(日光寺文書)に「五十公郷内椙壺」とある。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では「日光寺分杉坪村 下」とあり、本納一二石二斗六升四合・縄高一五石四斗七升四合、家四軒・一三人。顕聖(けんしよう)寺から六日町(むいかまち)村・杉坪村・大栃山(おおどちやま)村・下猪子田(しもいのこだ)村と結び中野(なかの)村(現大島村)へ通じる道が描かれる。正保国絵図では高五一石余。天和三年郷帳では高四八石余、うち青苧高二斗五升三合・漆高二石五斗二升(蓮浄寺本)、反別田二町六反余・畑屋敷二町四反余・山林二畝余・青苧畑二畝余で、漆木二五二本、家数五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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