朝日日本歴史人物事典 「杉本左近」の解説
杉本左近
江戸中期の越前(福井県)大野郡の石徹白白山中居大権現(神社)の神頭職。石徹白は神社領であり,美濃郡上藩の預かり地であった。宝暦2(1752)年吉田神道派の神主上村豊前らと白川神道派の杉本左近らの社人間の対立抗争が起こった。左近らは4年幕府寺社奉行に訴状を提出したが失敗。藩は左近以下の白川派の社人96軒500人余を追放,70人余が餓死するなど悲惨な状況を生む。左近らは岐阜芥見の豪農篠田源兵衛の援助を受け,老中駕籠訴(1756)や箱訴(1758)を決行。折から郡上の百姓一揆の箱訴と重なり,評定所審理となる。豊前は死罪,左近は30日押込,郡上藩金森氏は改易となる。<参考文献>鈴木義秋・野田直治『郡上藩宝暦騒動の基礎的研究』
(小椋喜一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報