奈良県北部、奈良盆地南東部に位置する都市。1956年(昭和31)桜井町が大福(だいふく)、香久山(かぐやま)の2村を編入して市制施行。同年上之郷(かみのごう)村、1959年初瀬(はせ)町、1963年大三輪(おおみわ)町を編入。JR桜井線、近畿日本鉄道大阪線、国道165号、166号、169号が通じる交通の要地である。大和(やまと)川上流の初瀬川流域、大和川支流の寺川流域の盆地部は水田地帯。北東部は大和高原、南東部は竜門(りゅうもん)山地の一部で、山地には農山村が散在する。行政、経済の中心地は桜井地区で、寺川が平野に流出する地にあり、中世から市場町、また伊勢(いせ)街道(初瀬街道)に沿う宿場町として発達した。明治以降は木材集散地としても発展し、2014年時点で、家具をのぞく木材・木製品製造業は106事業所、約430人が従業している。「浜(はま)」とよばれる木材市場では木材取引が盛んに行われる。特産に三輪(みわ)そうめんや北部山地での穴師(あなし)ミカンなどがある。また、皮革製品やスポーツ用品も製造する。
古代大和文化の発祥地の一つで、特別史跡の文殊院(もんじゅいん)西古墳をはじめ、おびただしい古墳がある。主要遺跡の出土品を紹介する埋蔵文化財センターがある。また山田寺跡(特別史跡)、粟原寺(おうばらでら)跡などの史跡や、国宝木心乾漆十一面観音立像で知られ、安産と子授けの信仰を集める聖林寺(しょうりんじ)、日本三大文殊の一つ安倍文殊院(あべもんじゅいん)、藤原鎌足(かまたり)を祀(まつ)る多武峰談山(とうのみねだんざん)神社などの古社寺が多い。大神(おおみわ)神社の神体でもある三輪山南麓(なんろく)の金屋(かなや)には「金屋の石仏」(石板浮彫伝弥勒如来像・石板浮彫伝釈迦如来像。国指定重要文化財)がある。金屋はまた古代の市(いち)の海柘榴市(つばいち)の地という。伊勢街道の宿場初瀬は長谷寺(はせでら)の門前町でもあり、初瀬の与喜山(よきさん)暖帯林は国指定天然記念物である。2004年(平成16)長谷寺の本堂が国宝に指定された。三輪山麓の山辺の道(やまのべのみち)や磐余道(いわれのみち)に沿って小林秀雄などの揮毫(きごう)による記紀や『万葉集』の歌碑が立つ。訪れる観光客は年間延べ700万人を超える(2015)。面積98.91平方キロメートル、人口5万4857(2020)。
[菊地一郎]
『乾健治他編『桜井市文化叢書』2巻(1958、1961・桜井市)』▽『『桜井市史』2巻(1979、1981・桜井市)』
愛媛県中央部、今治(いまばり)市の一地区。旧桜井町。『和名抄(わみょうしょう)』の桜井郷の地で、伊予国分尼寺塔跡(県指定史跡)がある。江戸時代には漆器を製造し、これを舟で行商するようになった。椀舟(わんぶね)とよばれる行商は分割払いを用いて伊予行商の中心となり、のちに全国的に知られる伊予割賦(かっぷ)販売のもととなった。小規模な海水浴場と綱敷天満(つなしきてんまん)神社があり、志島ヶ原は国指定名勝となっている。国道196号が通じ、JR予讃線伊予桜井駅がある。
[横山昭市]
奈良県中北部,奈良盆地南東部の市。1956年桜井町に大福,香久山の2村を編入,市制。人口6万0146(2010)。旧桜井町は初瀬川の谷口に位置し,古くから初瀬谷,宇陀山地,竜門山地を後背地として発展した市場町であった。1893年桜井~高田間に鉄道(現,JR桜井線)が開通し,大阪への鉄道輸送が可能となったことから,山地からの木材の集散地として注目をあび,特に第2次世界大戦後に飛躍的な発展を遂げた。今日も桜井市は製材業,木工業など,木材関係の事業所数が総事業所数の約半分を占めている。ほかには食品,繊維関係などの工場がある。特産としては北部の三輪周辺のそうめんがある。農業では鉢物やキュウリの生産が多い。1956年に完成した倉橋池は奈良盆地の溜池灌漑に大きな役割を果たしている。桜井は古代の磐余(いわれ)の地で,崇峻・舒明両天皇陵,歴代の天皇の宮跡,古代の市として有名な金屋の海柘榴市(つばいち)など,古代の史跡が多い。また端整な三輪山(467m)を神体とする大神(おおみわ)神社,中世以来初瀬(長谷)詣で有名な長谷寺,〈知恵の文殊さん〉として親しまれている安倍寺,藤原鎌足を祭神とする談山神社,国宝の十一面観音立像で有名な聖林(しようりん)寺などの由緒ある寺社も多い。近鉄大阪線が通る。
執筆者:橋本 征治
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…古代以来,瀬戸内海航路の要地で,国分古墳はじめ古墳も多い。伊予国府は南郊の富田に,また国分寺が国分に置かれ,近世初期まで桜井地区が当地の中心であった。1600年(慶長5)領主となった藤堂高虎は桜井の国府城に入ったが,02年から砂州を埋め,三重の堀をうがって海水を引き,現在地に今張城を築いた(石垣と内堀のみ残す)。…
…正成の子。1336年(延元1∥建武3)正成が摂津国湊川に出陣するに際し,桜井駅(摂津国三島郡)で正行と別れたと《太平記》は記すが,史実は未詳。正成戦死後,正行は楠木氏の本拠南河内で成長したとみられるが,47年南朝軍の中心として,河内国藤井寺,摂津国住吉・天王寺などで,幕府方山名時氏,細川顕氏らの軍を破った。…
※「桜井」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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