改訂新版 世界大百科事典 「李峪村古墓」の意味・わかりやすい解説
李峪村古墓 (りよくそんこぼ)
Lǐ yù cūn gǔ mù
中国,山西省渾源県李峪村に存在し,1923年に多数の青銅器を出土した墓。この地は恒山の西麓を流れる渾河の南岸にあたり,暴風雨によって李峪村近くの断崖が崩壊し,地下の墓室の一部が露出し,そこから青銅器,陶器片,漆器片,玉器,貝製品,骨角器が出土した。露出した出土品は村人に持ち去られ,一部の出土遺物は渾源県長によって回収されたが,フランスなど海外に流出した遺物も多い。出土した青銅器には,鼎(てい),鬲(れき),甑(そう),犠尊,壺,敦(たい),豆,匜(い),盤(ばん),香(か),獣形尊などの容器類,剣,戈,鏃,匕(ひ)などの武器類,鑣(ひよう)(鏡板),銜(かん)(はみ),車軸頭などの車馬具が存在した。青銅容器の類は,一般に薄手で,蟠螭(ばんち)文や怪獣文を施したもののほかに,禽獣文,狩猟文が多い。李峪村付近は,春秋時代末から戦国時代初頭にかけて蔚県に都した代国に属し,のちに趙国の領土となっている。これらの青銅器を出土した墓は,その地理的位置と年代から,代国に関係のある遺跡と考えられている。
執筆者:飯島 武次
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