日本大百科全書(ニッポニカ) 「李鐘玉」の意味・わかりやすい解説
李鐘玉
りしょうぎょく / イジョンオク
(1918―1999)
北朝鮮の政治家。咸鏡北道(かんきょうほくどう/ハムギョンプクド)城津(じょうしん/ソンチン)(現、金策(きんさく/キムチェク)市)に生まれる。1940年ハルビン工業大学卒業後、故郷で共産主義的活動を開始。解放後、同地で中学校教師をしていたが、後に朝鮮戦争で戦死した朝鮮人民軍司令官の金策の推挙で、清津(せいしん/チョンジン)紡績工場支配人、1949年産業省局長、副相となり、1951年軽工業相、1956年朝鮮労働党工業部長、国家計画委員会委員長となって、工業建設の最高権威となる。1960年副首相、重工業委員長等となったが、1973年より一時不遇。1977年12月政務院総理となって、第二次七か年計画を軌道にのせた。1984年国家副主席、1998年最高人民会議常任委員会名誉副委員長に選出。1999年死去。テクノクラートのシンボル的存在。
[玉城 素]