村上義隆墓(読み)むらかみよしたかのはか

日本歴史地名大系 「村上義隆墓」の解説

村上義隆墓
むらかみよしたかのはか

[現在地名]吉野町大字吉野山

勝手かつて神社の下から吉野黒滝くろたき街道を進むと道の右側にある。義隆は義光の子。「太平記」巻七「吉野城軍事」に元弘三年(一三三三)大塔宮吉野城落城の時、父義光の命で宮に従ったが、五〇〇余の敵が迫り、義隆はすぐこの下の吉野かくしのがけ道で防戦の末、最期を遂げた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む