デジタル大辞泉 「吉野町」の意味・読み・例文・類語
よしの‐ちょう〔‐チヤウ〕【吉野町】
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吉野川沿いの
慶長郷帳では「吉野山」、元和郷帳では「吉野山村」、寛永郷帳では「吉野分」、元禄郷帳では「吉野町」とみえる。「大和志」では「吉野山」と記し、
織田信長時代に没収されていた寺領は、文禄検地ののち、豊臣秀吉によって改めて蔵王堂領として寄進された。
文禄四年(一五九五)一一月、郡山城主増田長盛により吉野山惣中御朱印知行割が行われ、蔵王修理領(五一三石)、衆徒(一三一石、吉水院ほか二一院)、部屋住寺僧(二〇石、一〇人)、満堂(一九三石、福島坊ほか三四坊)、勝手社僧(一〇〇石、三二坊)、禰宜・八乙女(子守神社以下二四人)、穀屋・天神(一七石)に配分された(「芳野幽探」吉野山の密井家蔵)が、造営領をめぐり争いが絶えなかった(本光国師日記)。慶長一九年(一六一四)になると吉野一山は徳川家康の命により南光坊天海の支配下に入り、次のような制札が出されている。
板野郡西部、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報