束辺名村(読み)ちけーなむら

日本歴史地名大系 「束辺名村」の解説

束辺名村
ちけーなむら

[現在地名]糸満市束里つかざと

喜屋武ちやん村の東に位置し、南は上里ういーざとう村。チカフィナ村ともよぶ。絵図郷村帳・琉球国高究帳に喜屋武ちやん間切「すかへな村」とあり、「琉球国由来記」には同束辺名村とみえる。高究帳によると頭高七二石余、うち田二〇石余・畠五一石余。間切集成図には福地ふくじ村の馬場の南に集落が描かれて村名が記され、南には当間とーま旧城がある。前掲由来記によると喜屋武間切の地頭代が束辺名親雲上を名乗る。束辺名ノロの崇所として富里ノ嶽・ガハラヂノ嶽があり、年中祭祀として右二ヵ所の嶽々で三月・八月に四度御物参の祈願、束辺名巫火神で三月・八月に四度御物参の祈願、麦稲四祭三日崇、富里之殿・束辺名庫理之殿で麦稲四祭が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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