来待郷
きまちごう
「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、キマチであろう。「出雲国風土記」に郷名はないが、来待川とあり、現宍道町を流れる同名川に比定される。同書にあげる意宇郡内の支麻知社は「延喜式」神名帳には来待神社とあり、クマチの訓を付す。現宍道町上来待の来待神社とされている。安元二年(一一七六)二月日の八条院所領目録(山科家文書)に出雲国来海とあり、また鎌倉期には来海庄とみえる(ただし拝志郷の開発によるともいう)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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