来待郷(読み)きまちごう

日本歴史地名大系 「来待郷」の解説

来待郷
きまちごう

和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、キマチであろう。「出雲国風土記」に郷名はないが、来待川とあり、現宍道町を流れる同名川に比定される。同書にあげる意宇郡内の支麻知きまち社は「延喜式」神名帳には来待神社とあり、クマチの訓を付す。現宍道町上来待かみぎまちの来待神社とされている。安元二年(一一七六)二月日の八条院所領目録(山科家文書)に出雲国来海きまちとあり、また鎌倉期には来海庄とみえる(ただし拝志郷の開発によるともいう)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む