拝志郷(読み)はやしごう

日本歴史地名大系 「拝志郷」の解説

拝志郷
はやしごう

和名抄」にみえるが、諸本ともに訓はない。だが山城国紀伊郡の拝志郷を高山寺本は「波夜之」と訓じ、伊予国越智郡の拝志郷も「波也之」と訓じており、後述のように林郷と記す例もあるから「はやし」と読んでよい。現藤井寺市に林を町名とする地域があり、同三丁目には貞観九年(八六七)二月二六日に官社に列した(三代実録)式内社の伴林氏ともばやし神社があるから、この付近を郷域としたことは確実。「大日本地名辞書」「大阪府全志」は右の林地域に郷域を限定、「日本地理志料」は林のほか現大和川沿いの大井おおい北條ほうじよう船橋ふなはし(現藤井寺市)をも含むとするが、正確なことはわからない。


拝志郷
はいしごう

「和名抄」高山寺本は「波夜之」、刊本は「波以之」と訓ず。天平宝字二年(七五八)九月一日付阿刀老女等啓状(正倉院文書)に「林郷」とみえるが、久世郡のものか紀伊郡のものかは不明。永久元年(一一一三)一二月日付玄蕃寮牒案(柳原家記録)中尾なかつら陵の陵戸田を記して本郷の「苫手里・穴田里・須具田里」をあげている。本郷域には後世拝志(師)庄が立荘される。承安三年(一一七三)九月二〇日付八条院庁下文案(白河本東寺百合文書)に「山城国拝志庄」の記載がある。


拝志郷
はやしごう

現玉湯町の東部に所在した国衙領。「出雲国風土記」「和名抄」に載る意宇おう郡拝志郷の一部が再編成されて成立した中世の郷。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)の流鏑馬一五番のうち第九番に「湯・拝志両郷、合佐世郷」とあり、また文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳写(出雲国造系譜考)の一番に郷に続いて「拝志郷弐拾壱町四段 同人」とみえ、湯郷地頭大西が当郷の地頭でもあった。


拝志郷
はやしごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「拝志」と記す。訓を欠くが、越智おち郡拝志郷に「波也之」と訓ずるので同訓であろう。重信しげのぶ川に林川が流入する辺りから対岸にかけての、現温泉おんせん郡重信町の下林しもばやし田窪たのくぼ牛淵うしぶち野田のだの各地区に比定される。「三代実録」の貞観九年(八六七)二月五日条に浮島神に神階従五位下を授くとするのは牛淵鎮座の浮島うきしま神社のことであろう。


拝志郷
はやしごう

「和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠くが、拝志郷は紀伊郡にもみえ「和名抄」高山寺本は「波夜之」、刊本は「波以之」と訓ずる。天平宝字二年(七五八)九月一日付阿刀老女等啓状(正倉院文書)に「林郷」とみえるが、両郡いずれの郷をいうのかは明らかでない。古代の久世郡拝師郷のみえるのは、長保三年(一〇〇一)四月八日付禅定寺領田畠流記帳(禅定寺文書)が唯一の例で、

<資料は省略されています>

とあって、「楡田上里・上楡田里」の里名がみえる。


拝志郷
はやしごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「拝志」と記し、「波也之」と訓ずる。今治いまばり平野南東部、頓田とんだ川下流の左岸一帯を占める地域に比定され、現今治市上徳かみとく東村ひがしむら喜田村きたむらなどが含まれる。ほぼ全域にわたって条里制の遺構が残り、伊予国府跡と推定されている所もある。


拝志郷
はやしごう

「和名抄」所載の郷で、名博本は拝師とするが、ほかは拝志と記す。諸本とも訓を欠くが、ハヤシであろう。「出雲国風土記」によれば、意宇郡一一郷のうちで郡家の西二一里余に郷長の家があり、地名は初め林で、所造天下大神命が越の平定に向かう途中当地の樹林が茂っていたのをみて「吾が御心の波夜志」といったことに由来するという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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