東下田村(読み)ひがししもだむら

日本歴史地名大系 「東下田村」の解説

東下田村
ひがししもだむら

[現在地名]長陽村河陽かわよう

東はまつ(現白水村)南東下中しもなか(現白水村)、西に下田しもだ村と接する。北に夜峰よみね(九一三・一メートル)を負う。文明一六年(一四八四)八月二八日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(阿蘇家文書)中に、下田の分として「一所おさうつまめ一斗」とあり、近世に東下田村の小村となる小沢津おさわづが初穂料を納めていた。近世は布田手永に属し、宝暦七年(一七五七)の布田手永手鑑によれば、高六七〇石七斗余、うち九一石九斗余は西村半兵衛、一三四石一斗余は有吉市左衛門、九九石三斗余は上月免毛、二〇〇石一斗余は村山九郎次郎の知行であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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