日本歴史地名大系 「東今颪町・西今颪町」の解説 東今颪町・西今颪町ひがしいまおろしちよう・にしいまおろしちよう 滋賀県:大津市大津町東今颪町・西今颪町[現在地名]大津市浜大津(はまおおつ)三丁目・長等(ながら)三丁目升屋(ますや)町の西に続く両側町で、寛保二年町絵図では東今颪町・西今颪町と続く。両町の北に水揚(みずあげ)町がある。今颪の開発は古く、南院惣想集会引付(園城寺文書)の応永二三年(一四一六)一〇月二〇日集会事書に「今颪在地」とあり、当地は園城(おんじよう)寺南院の支配下にあったが、同寺北院・中院がその検断権を否定したため紛争となり、武力衝突というところで室町幕府が介入、落着している。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)に町名がみえる。貞享二年(一六八五)初めて大津に滞在した松尾芭蕉は当町の千那宅(本福寺別院)に宿をとり、千那らと坂本で鹿の声などを楽しんでいる(芭蕉書簡集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by