日本歴史地名大系 「東古泉村」の解説
東古泉村
ひがしこいずみむら
明治四三年(一九一〇)刊の「郷土誌岡田村」に「古泉村元文三年東西に分かれる、明和七年東・西古泉村田面混存不便により、両村敢て方向を訂正し、その境界を定む」とある。分郷前後の東古泉村の石高・反別は、元禄元年(一六八八)には三〇九石七升六合、三一町四反五畝二五歩、明和七年(一七七〇)には三五九石九斗六升、四二町一反八畝六歩、寛政四年(一七九二)には三七〇石九斗八升三合、四三町九反九畝一歩となっており、以後明治までは増加をみない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報