日本歴史地名大系 「東小松川村」の解説 東小松川村ひがしこまつがわむら 東京都:江戸川区東小松川村[現在地名]江戸川区東小松川一―四丁目・松江(まつえ)一―五丁目・松島(まつしま)一―二丁目・中央(ちゆうおう)一―四丁目・大杉(おおすぎ)一丁目・同四―五丁目など西一之江(にしいちのえ)村の西に位置。西は小松川境(こまつがわさかい)川を挟み西小松川村、南は船堀(ふなぼり)村、北は松本(まつもと)村、下小松(しもこまつ)村(現葛飾区)。元佐倉道と行徳(ぎようとく)(現千葉県市川市)と浅草を結ぶ道(通称行徳道)が通る。中世は葛西(かさい)御厨のうちで、応永五年(一三九八)八月日の葛西御厨田数注文写(鏑矢記)に「東小松河 五十丁 公田六十(丁)八反」とある。天文三年(一五三四)二月三日の日淳付属状(正覚寺文書)に「日淳学問之時分、笠井小松川之左京殿へ遊山ニ罷越候折節」とみえ、北条氏所領役帳には江戸衆の遠山丹波守(綱景)分として葛西「東小松川」四五貫文がみえる。永禄五年(一五六二)三月二二日、北条氏康は本田正勝に葛西要害(現葛飾区)の攻略を命じ、恩賞の給与を約した。そのなかに「二ケ所 両小松川」とみえ、東西小松川をさすとみられる(「北条氏康判物」本田文書)。同年四月一六日に北条氏政が本田正勝に葛西の攻略を命じた際にも、恩賞の中に「一ケ所 葛西両小松川」がみえている(「北条氏政判物」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by