江戸川区(読み)エドガワク

デジタル大辞泉 「江戸川区」の意味・読み・例文・類語

えどがわ‐く〔えどがは‐〕【江戸川区】

江戸川

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日本歴史地名大系 「江戸川区」の解説

江戸川区
えどがわく

面積:四九・八六平方キロ(境界未定)

東京都の南東端に位置し、北は葛飾区、西は墨田区・江東区、東は南流する江戸川・旧江戸川を挟んで千葉県市川市・浦安市に接し、南は東京湾に面する。西部には荒川と中川が南流して東京湾に注ぎ、中央部を新中川が南流して旧江戸川に合流する。東西にはしん川・左近さこん川がある。下総台地の西にあたり、現在の江戸川・中川によって形成されたデルタ状地である。道路は南北に環状七号線(環七通)が通り、その西側に船堀ふなぼり街道(主要地方道千住―小松川―葛西沖線)、東側に柴又しばまた街道(同王子―金町―江戸川線)がある。東西には中央部を国道一四号(千葉街道)新大橋しんおおはし(主要地方道東京―市川線)が通り、北部には蔵前橋くらまえばし(同市川―四ッ木線)、南部には葛西橋かさいばし(同東京―浦安線)がある。首都高速は中央部を七号(小松川線)が通り京葉道路に連結、区内には小松川こまつがわ一之江いちのえ篠崎しのざきの出入口がある。南端部には湾岸線があり、葛西ジャンクションで荒川左岸に延びる中央環状線と連結している。鉄道は北部をJR総武本線と京成電鉄本線、南端部をJR京葉線が通る。また地下鉄は中央部を都営新宿線、その南を営団東西線が東西に通る。古代以来下総国葛飾郡に属したが、江戸時代初期に葛飾郡が分割され、以後武蔵国葛飾郡に属して近代を迎えた。

〔原始・古代〕

当区では縄文海進以前の人間活動の痕跡が発見されている。昭和二〇年代、中川放水路開削工事の際に、興宮おきのみやから縄文時代早期条痕文系土器の破片とカキ、シカの下顎骨クルミなどが出土した。発見当時は上流から流れてきたものと思われていたが、出土した土器片には流されてきたような摩滅痕がなく、出土地点には縄文人の活動の場が存在していたものと考えられる。縄文海進後再び当区域が生活の場として利用されるのは、弥生時代の終り頃から古墳時代前期にかけてである。上小岩かみこいわ遺跡、上篠崎の勢増山せますやま遺跡はその頃から営まれた遺跡である。古墳時代中期、土器型式でいえば和泉式にあたる時期の遺跡は未確認である。古墳時代後期になると上小岩遺跡が再び生活の場として利用されるが、現在までのところ古墳の存在は確認されていない。

養老五年(七二一)の下総国葛飾郡大島郷戸籍(正倉院文書)にみえる甲和こうわ里の転訛が小岩とされる。甲和里は里正孔王部荒馬の下で郷戸一七・房戸四四からなり、総戸口数は四五四であった。ほとんどが安康天皇の名代に由来する孔王部姓で、血縁的結合が強かったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江戸川区」の意味・わかりやすい解説

江戸川〔区〕
えどがわ

東京都 23特別区の一つ。 1932年区制。 1947年特別区制。西は荒川放水路中川で区切られ,東は江戸川で千葉県に接する。低平な三角州地帯で地盤沈下もひどく,有名なゼロメートル地帯である。高潮に備え防潮堤がつくられ,街路樹も湿地に強いトネリコの木が多い。北部と西部の川沿いは工業地帯として発展。鹿骨 (ししぼね) は花卉栽培,一之江町,二之江町,春江町キンギョの養殖で知られる。北部を JR総武線,中央を都営地下鉄新宿線,京葉道路,南部を東京地下鉄東西線,JR京葉線が東西に通り,その沿道や千葉街道沿いが商工業と住宅の混在密集地域。特に東西線南部に住宅団地やマンションが林立,海岸沿いの埋立て地に葛西臨海公園が整備されている。荒川に沿って首都高速道路中央環状線が通り,船堀橋インターチェンジがある。葛西ジャンクションで湾岸線と接続する。面積 49.90km2(境界未定)。人口 69万7932(2020)。

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