朝日日本歴史人物事典 「福森久助」の解説
福森久助
生年:明和4(1767)
歌舞伎狂言作者。前名玉巻丘次。俳名一雄。本姓金子。通称安宅の久助(安久)。江戸本所四つ目の薪問屋河内屋の子。勘当され,19歳で作者となる。同じ町人出身の作者初代桜田治助門下となり,25歳のとき,師の監督のもと夏芝居「女達高麗屋経緯」を書く。寛政8(1796)年,30歳で福森久助と改名,桜田の後継者として二枚目作者を勤め,文化2(1805)年11月に立作者となる。翌年より若手人気役者3代目坂東三津五郎付きとなり,5代目松本幸四郎付きの鶴屋南北と合作,「勝相撲浮名花触」の2幕目「白藤お俊」などを書く。文化9年11月からは,大久保今助が金主となって実現させた人気役者揃えの大一座の作者を勤めた。幇間の卜賀(狂言作者名柳川忠蔵)と深く交わり,吉原芸者お駒を落籍するなど文人趣味を慕ったが,桜田の「天明ぶり」の鷹揚さを欠いた。「褄重噂菊月」「花雪和合太平記」など濃厚で華やかな色模様の場面を売り物にし,清元の「其小唄夢廓」など浄瑠璃所作事にも傑作が多い。有力な門弟が育たず,のちに名跡復活で2代目,3代目が生まれたが大成しなかった。
(古井戸秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報