江戸前期の力士。生没年不詳。初代横綱。伝説,講談によれば,宇都宮藩士山内典膳(主膳)の一子鹿之助,一説には蒲生家の浪人でのち江戸に出て人夫になったともいわれる。身長251cm,体重184kgという希代の超巨人。江戸で俠客夢の市郎兵衛と義兄弟になり,京都の天覧相撲で大関仁王仁太夫を打ち倒し,日下開山(ひのしたかいさん)の勅許を与えられたという。《古今相撲大全》(1763)には,1624年(寛永1)4月,江戸四谷塩町の笹寺で,明石の勧進元による晴天6日間興行が,江戸勧進相撲の始まりとあるが証跡はまったくない。しかし《古今相撲大全》以後は,職業相撲(勧進相撲)の開祖は明石の興行からとされ,これが長く定説になっていたが,近年は否定されている。1895年に横綱代数を陣幕久五郎が考案し,伝説の明石を初代にすえ,綾川五郎次,丸山権太左衛門と架空の横綱3人をつくったが,昭和になって相撲協会もようやく公認するようになった。
→横綱
執筆者:池田 雅雄
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(水野尚文)
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… 横綱力士という名称と代数をつけることを発案したのは,みずからも横綱の免許を受けたことのある12代陣幕久五郎(1829‐1903)で,自己顕示の理由もあって,1895年大関のなかで横綱免許を受けた力士を他の大関と区別して〈横綱力士累代姓名〉という文書を配布し,東京深川八幡境内に横綱力士碑を建てる寄付金を募集した。このとき伝説上の力士,明石志賀之助を初代に綾川,丸山を加え16代西ノ海までを碑の裏面に刻して表彰し,1900年に完成した。この石碑は相撲協会や吉田司家に関係なく,陣幕が独力で建てたものであり,当時の相撲史研究家の間からも,初代から3代までは史実になく,谷風を初代にすべきであるとの論議があり,現在にまで尾を引いているが,今ではこの代数が定着している。…
※「明石志賀之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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