日本歴史地名大系 「東引御堂町」の解説
東引御堂町
ひがしひきみどうちよう
胡町の水道を隔てて東に続く横町で、南は
元和五年広島城下絵図に「東引御堂町」として町間数一町三〇間を記す。寛永二年広島町数家数改め(済美録)には本家・借家各四九軒とある。「知新集」では石門一、町門一(籏町境)、町間数二丁一一間八歩、竈数八三(本竈二二・借竈六一)、人数三四三(男一七〇・女一七三)、うち本道医四人、外科一人、導引一人のほか、職人の碁将棋盤師・傘釣灯張各二人、弓弦師・柄巻師・塗物師・唐紙形師(大津屋伝兵衛)・衣類仕立物師・檜物師・大工・畳刺・桶屋・青染・渋紙張・金毛師(坪屋嘉兵衛)各一人をあげる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報