日本大百科全書(ニッポニカ) 「東柏崎ガス田」の意味・わかりやすい解説
東柏崎ガス田
ひがしかしわざきがすでん
新潟県柏崎市の北東7キロメートルにあるガス田。1970年(昭和45)に帝国石油(現、国際石油開発帝石)によって発見された。1970年代までのわが国ではもっとも生産性の高いガス田であり、経済効率が高く帝国石油の経営を長く支えてきた油田でもある。深度2442メートルの第三紀中新世七谷(ななたに)層グリーンタフ(緑色凝灰岩)の西山背斜構造に賦存する。1998年(平成10)の産ガス量は1.3億立方メートルで、県内生産ガスの約9%を占め、南長岡(30.0%)、片貝(18.3%)、吉井(16.3%)、東新潟(11.6%)に次ぐ、県内上位のガス田であった。生産量は開発後4~6年目を最盛期として、各年5億立方メートル前後を産した。以後10~15年目は3億立方メートル、16~21年目は1.5億立方メートル前後で推移し、1990年までの20年間に57億立方メートルを産出した国内最大量のガス田であった。その後産ガス量は減少し、2007年では1577万立方メートルである。産油量も最盛時14万キロリットルで、その後15年間は各年6万キロリットル以上を生産したが2002年を境に激減し、2007年の産油量は2687キロリットルである。
[高津斌彰]
『帝国石油株式会社編・刊『帝国石油五十年史』(1992)』