新潟(読み)ニイガタ

デジタル大辞泉 「新潟」の意味・読み・例文・類語

にいがた〔にひがた〕【新潟】

中部地方北東部の県。もとの越後佐渡にあたる。米どころとして知られる。人口237.5万(2010)。
新潟県中北部の市。県庁所在地信濃川河口にあり、日本海側の重要港。安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港場となる。現在は重化学工業が盛ん。平成17年(2005)3月に新津市、白根しろね市、豊栄とよさか市と周辺9町村を、10月に巻町を編入。平成19年(2007)4月、指定都市となった。人口81.2万(2010)。
[補説]新潟市の8区
秋葉区北区江南区中央区西区西蒲区東区南区

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精選版 日本国語大辞典 「新潟」の意味・読み・例文・類語

にいがたにひがた【新潟】

  1. [ 一 ] 新潟県中北部の地名。県庁所在地。信濃川・阿賀野川の河口に発達。古くは蒲原津(かんばらのつ)、江戸初期以来、新潟湊と呼ばれた。寛文一二年(一六七二)西回り航路の寄港地となる。明治元年(一八六八)に五大開港場の一つに加えられ、昭和以降、満州や朝鮮との航路の基地として繁栄。製油・化学・金属・食品などの各種工業が発達する日本海側最大の臨海工業都市。明治二二年(一八八九)市制。
  2. [ 二 ]にいがたけん(新潟県)」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「新潟」の意味・わかりやすい解説

新潟[市] (にいがた)

新潟県中部の市で,県庁所在都市。旧新潟市が2001年1月黒埼(くろさき)町を,05年3月白根(しろね),豊栄(とよさか),新津(にいつ)の3市,亀田(かめだ),小須戸(こすど),西川(にしかわ),横越(よこごし)の4町,味方(あじかた),岩室(いわむろ),潟東(かたひがし),月潟(つきがた),中之口(なかのくち)の5村を,さらに05年10月巻(まき)町を編入して成立した。07年4月政令指定都市に移行,北,東,南,西,中央,江南,秋葉(あきは),西蒲(にしかん)の8区を置いた。人口81万1901(2010)。

新潟市中部の旧村。旧西蒲原(にしかんばら)郡所属。人口4805(2000)。越後平野中部,信濃川派川の中ノ口川西岸に位置する。沖積地からなり,自然堤防上に集落が発達している。中心の味方は対岸の旧白根市と並ぶ中ノ口川沿いの交通の要衝で,旧新潟市へ通じる新潟交通線の白根駅も村内にある。西部の低湿地は第2次世界大戦後,県営圃場整備の第1号として区画整理され,暗渠排水によって乾田化された。典型的な水田単作地帯にあり,1戸平均耕地面積は県下一で,大型機械化農業の先進地域となっている。旧新潟市に近いことから近年は野菜のハウス栽培が盛んで,ベッドタウン化も進んでおり,人口も増加している。味方の笹川家住宅は1826年(文政9)に建築された越後の代表的庄屋屋敷で重要文化財となっている。西白根地区では毎年6月に対岸の旧白根市との間で300年の伝統をもつ大凧合戦が行われる。

新潟市西端の旧村。旧西蒲原郡所属。人口1万0042(2000)。弥彦山北麓にあり,西は日本海に面する。東部は信濃川派川の西川沿いの低地,西部は弥彦山地と狭い海岸低地からなる。中心集落はJR越後線岩室駅のある和納地区。農業と観光が産業の中心。岩室は近世,北陸街道の宿場町で,越後一宮の弥彦神社への参道にあたる。1713年(正徳3)には岩室温泉(含食塩土類硫化水素泉,27℃)が発見され,現在は国民温泉に指定されている。民謡《岩室甚句》でも有名。間瀬は海岸美にすぐれ,県天然記念物のまくら状溶岩があり,海水浴客も多い。1970年に弥彦山スカイライン(81年無料開放),75年には越後七浦シーサイドライン(90年無料開放)が開通し,佐渡弥彦国定公園の観光拠点となっている。

新潟市南西部の旧村。旧西蒲原郡所属。人口6454(2000)。越後平野中央部,信濃川派川の中ノ口川西岸の沖積地にあり自然堤防上に集落がある。1959年に旧鎧潟(よろいがた)の東に位置する大原村と四ッ合村が合体し,潟東村となる。近世までは御封印野と呼ばれた湿地で,宝暦年間(1751-64)以降開発された新田村である。洪水の常襲地域であったが,1818年(文政1)鎧潟の排水のために新川が開削され,1912年には改修が完成した。58-66年には国営事業として鎧潟300haの干拓が行われ,大型農業機械を導入し,穀倉地帯の中核となった。旧巻町との境に北陸自動車道の巻潟東インターチェンジがあり,金属加工業を中心に食品,機械工業が立地する。

新潟市北東部の旧町。旧中蒲原郡所属。人口3万2061(2000)。越後平野中部にあり,信濃川と阿賀野川にはさまれている。かつては亀田水郷と呼ばれる低湿地であった。現在のJR信越本線亀田駅周辺の中心地は,慶安年間(1648-52)に開拓され中谷内(なかやち)新田と呼ばれていたが,元禄年間(1688-1704)に新発田(しばた)藩が六斎市の設置を許可し,以後は近郷の商業・交通の中心として栄え,栗木川には河岸場もあった。1949年栗木川排水機場の完成とともに乾田化,耕地整理が進められ穀倉地帯に転じた。南部の茅野山は亀田梨の産地として知られる。近世中期から亀田縞と呼ばれる綿織物を産し,第2次世界大戦後は化繊織物への転換が進んだ。米菓を主とする食品工業も盛ん。旧新潟市に隣接するためベッドタウン化が進み,人口も増加している。日本海東北自動車道の新潟亀田インターチェンジがある。

新潟市北部の旧町。旧西蒲原郡所属。人口2万3605(1995)。越後平野中部の信濃川西岸にあり,中心地大野は中ノ口川との合流点にあたる古くからの河岸町で,近世中期以降は市場が栄え,近郷の農産物の集散地として発達した。かつては潟湖の多い低湿地で,洪水の常襲地帯であったが,近世末期に新川排水路が開削され,1922年には上流に大河津(おおこうづ)分水(新信濃川)が完成して乾田化が進み,越後平野の中核的穀倉地帯となった。さらに72年には新川大排水機場が完成した。旧新潟市に隣接する近郊農村として近年は野菜・花卉栽培が盛ん。また同市のベッドタウンとして住宅団地の造成も行われ,国道8号線沿いには流通産業などが立地する。人口も増加傾向にある。北陸自動車道の新潟西インターチェンジがあり,国道116号のバイパス,新潟西バイパスや国道8号線と結ばれる。山田には越後七不思議の一つで,親鸞伝説を伝える焼鮒の旧跡がある。

新潟市南東部の旧町。旧中蒲原郡所属。人口1万0454(2000)。越後平野の中部にあり,信濃川東岸の沖積地と東部の魚沼丘陵北端の丘陵からなる。中心地小須戸は信濃川の自然堤防上に位置し,近世は信濃川舟運の河岸町で,六斎市も立ち,中蒲原の交通・経済の要衝として栄えた。幕末ころからは小須戸木綿縞の機業地としても知られ,第2次世界大戦後はメリヤス工業に転換し,隣接の五泉市に次ぐメリヤス産地となった。低地部は近世に開発された新田地帯であり,盆栽の産地としても知られるが,近年はチューリップヒヤシンスなどの球根栽培が盛んで,1972年には花木センター,93年には花ステーションが設置されている。茂林寺の木造地蔵菩薩半跏像は重要文化財に指定されている。JR信越本線が通る。
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新潟市中南部の旧市。1959年市制。人口4万0012(2000)。旧新潟市の南に位置し,信濃川の下流とその分流中ノ口川に囲まれた南北に細長い輪中(わじゆう)をなす白根郷の大部分を占める。標高2m前後の低湿田地帯のため洪水に悩まされてきたが,1927年信濃川の大河津分水が完成し,耕地整理も行われて越後平野の先進的穀倉地帯となった。また旧新潟市の近郊農村として,果樹,野菜,花卉などの栽培も盛んで,近年は観光果樹園も人気を呼んでいる。中心の白根は近世には市場町としてにぎわい,中ノ口川舟運の河岸場(かしば)が置かれた。伝統的な仏壇・仏具製造が盛んで,ほかに電線,電球を産する。旧新潟市と旧月潟村を結ぶ新潟交通線(99年廃止)の電車は中ノ口川対岸(西岸)を通り,国道8号線が市域内を並走する。6月の上旬,中ノ口川をはさんで旧味方村との間に繰り広げられる白根大凧合戦は300年の伝統をもつ。
執筆者:

新潟市南西部の旧村。旧西蒲原郡所属。人口3831(2000)。越後平野中央部,信濃川派川の中ノ口川西岸にあり,全域が沖積地で,自然堤防上に集落が発達する。中心集落の月潟では,近世三条の金物問屋の下請けとして始められた鍛冶工業が盛んで,越後鎌の主産地として知られるが,零細規模のものがほとんどである。蒲原穀倉地帯の中心にあり,米の反当り収量は県内有数である。自然堤防上では古くからナシの栽培が盛んで,大別当(おおべつとう)にある樹齢170年と伝えられる類産ナシは,ナシ栽培が導入された当時の古品種で,天然記念物に指定されている。越後獅子の名で知られ,農閑期の旅稼ぎでもあった角兵衛獅子発祥の地で,6月23~25日の月潟地蔵堂の祭礼には地元の保存会によって角兵衛獅子が奉納される。
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新潟市北東端の旧市。1970年市制。人口4万8997(2000)。越後平野北部,阿賀野川下流右岸に位置する。かつて阿賀北郷と呼ばれた低湿地で,流入河川の排水が,北部の海岸砂丘と西部の阿賀野川の自然堤防に妨げられ,中央部に福島潟などがある。1730年(享保15)に新発田藩が低湿地の開発を目的に砂丘部に掘割り(松ヶ崎分水)を開削し,阿賀野川を日本海に放流して以来,開発が急速に進み,微高地に集落が発達した。中心市街の葛塚(くずづか)は,福島潟から流出する新井郷(にいごう)川の旧河岸場町で,舟運で新潟と結ばれた在郷市場町として発展し,野良着用木綿の葛塚縞や仏壇の産地として知られた。その後も土地改良が進み,1961年新潟市名目所(なめどころ)に排水機場が設けられて乾田化が完了した。また1956年国鉄(現JR)白新線が全通,70年には市域北部の砂丘地に新潟東港が開港し,市発展の基盤が確立した。また市の西部に早通(はやどおり)団地が造成(1969)されるなど旧新潟市のベッドタウン的性格が強まるとともに,砂丘地を利用した園芸農業も盛んになっている。市の北部には新潟競馬場があり,日本海東北自動車道の豊栄新潟東港インターチェンジもある。
執筆者:

新潟市南西端の旧村。旧西蒲原郡所属。人口6483(2000)。越後平野中部,信濃川の分流中ノ口川西岸沖積地にある。1953-60年に圃場整備が行われ,大型機械化稲作農業の先進地域として知られる。東部の中ノ口川沿岸はブドウを中心とした果樹栽培が盛ん。隣接する燕市の洋食器工業の労働力供給地でもあり,村内にも下請工場が進出している。村内を北陸自動車道と上越新幹線が縦断し,巻潟東インターチェンジや燕三条駅にも近い。
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新潟市北端,日本海に臨む旧市で,県庁所在都市。1889年市制。人口50万1431(2000)。人口は県全体の20%を占め,北陸地方第1の都市である。市域は信濃川および阿賀野川河口両岸の砂丘と三角州上に広がる。信濃川河口西岸に発達した旧市街地は,近世西廻海運の寄航地となり,越後米の移出港として栄えた新潟湊が起源をなす。1868年(明治1),当時日本海岸唯一の開港場となり,70年県庁所在地となった。1914年信濃川東岸の新発田(しばた)藩の港町であった沼垂(ぬつたり)町を編入し,大正末にはここに築港が完成して市の工業発展の基礎がつくられた。1964年新産業都市に指定されたが,同年6月の新潟地震では信濃川沿いの地区が軟弱地盤のため,大きな打撃をうけた。特定重要港湾に指定された新潟港は,信濃川河口の西港と阿賀野川北部砂丘上に69年開港した掘込み港の東港を合わせたもので,年間取扱量のうち7割が原油である。

 工業は東工業港周辺および信濃川東岸の山の下,沼垂,大形などに集中し,石油,化学,機械,造船などを中心に年間約6544億円(1995)の出荷額があり,県全体の13%を占める。商業地区は信濃川西岸の古町周辺および西堀通り地下街が中心をなすが,新しい繁華街は東岸の新潟駅北側に1960年代以降発展した東大通り,万代(ばんだい)町付近で,高層ビル,バスターミナル,デパートが並ぶ。北陸自動車道(1978),上越新幹線(1982)が開通し,97年には磐越自動車道が福島県へ全通して活気を呈し,さらに日本海東北自動車道が北へ延びつつある。市内には新潟行政監察局(現,新潟行政評価事務所),北陸地方建設局(現,北陸地方整備局),日本海区水産研究所など国の出先機関や国立新潟大学をはじめとする教育研究機関が集まっている。阿賀野川河口西岸の新潟空港は札幌,名古屋,大阪,福岡,佐渡(2008年9月廃止)などへ定期便があり,ハバロフスクイルクーツク,ソウル,ウラジオストクへ国際線も発着する。
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近世期越後国最大の港町。信濃川河口西岸に立地。1551年(天文20)ころに港町として成立し,地名の初出は68年(永禄11)。81年(天正9)新発田重家は上杉景勝に背くと新潟津を占拠し,沖の口運上を横領,信濃川中州に寄居を築き,町人を人質にとって備えを強化した。景勝も寄居を築き,86年奪回し景勝の領国確立戦の最後を飾った。以後,景勝支配下に94年(文禄3)豊臣秀吉の伏見築城手伝い普請兵粮米,伏見御用米の敦賀回送をつとめた。

 町並みは古くは浜側にあり,1580年ころから信濃川の付き州を追って漸次今の古町中心街地域に移転(島村新潟),堀秀治(1598入封)・松平忠輝(1610入封)時代に発達をみた。1616年(元和2)堀直竒(なおより)が長岡藩主になると翌年片町(現,東堀通り),新町(現,本町通り),洲崎町(現,古町通り十三番町),材木町(現,上大川前通り一~四番町)の町建てを命じ,現古町通りには絹・布・小物・糸,新町には米・大豆・海産物,材木町には材木類の独占販売を許した。前年の沖の口船役,各種商工業税,世帯割税免除令と合わせ,近世新潟町発展の基礎が築かれた。18年牧野忠成が入封,前代の政策を踏襲し,他国他領商人の保護を命じた。33年(寛永10)には新潟は中・下越商業の中心となり戸口の増大をみた。藩は東堀,西堀と縦5条の堀を掘って町並みと舟運の便を整える工事を起こし,56年(明暦2)完了した。82年(天和2)には白山堀に年貢米収納蔵を建てさせ白山島の塩・海産物倉庫と合わせ,白山堀中心に新潟湊が繁栄した。97年(元禄10)新潟湊の取扱物資は年貢米34万俵余・10万8000両余,民間商品米穀83万俵余・17万2000両余,木綿・古手・塩・魚その他計17万8000両余,入港船舶3500艘,1710年(宝永7)には58万1000両余に及んだ。

 30年(享保15)新発田藩の松ヶ崎掘割工事は港を浅くし入港船舶の減少と町の衰微をもたらした。68年(明和5)米価高騰と藩の御用金賦課が重なり,町民は騒動を起こし米問屋,廻船問屋,町役人を襲撃,涌井藤四郎を総代として町民の手による町政を行った。しかし70年には涌井が獄門のほか,それぞれ処罰された。しかしこの事件は本町表店商人の独占特権を新興商人と新興地域に解放させた。1828年(文政11),29年,30年(天保1)には米騒動が起きた。

 43年6月幕府は新潟町を天領とし初代新潟奉行に川村修就(ながたか)を任命した。川村は湊口台場の築造,砂防林の植栽,消防施設の充実,学問の奨励など見るべき治績をあげた。43年5754軒,2万4431人。68年の戊辰戦争には奥羽越列藩同盟の拠点の一つとなり米沢藩が支配を預かった。そのため新政府軍の攻撃を受け火災が発生した。戦争終結後の同年11月修好通商条約による開港が実施された。
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新潟市東部の旧市。1951年市制。人口6万5860(2000)。魚沼丘陵の北端にあり,信濃・阿賀野両川とこれを結ぶ小阿賀野川に囲まれ,中央を能代(のうだい)川が北流している。中世,新津氏が居城を構え,近世は新発田藩領に属し,越後平野の農産物などを取引する市場町としてにぎわった。藩政時代に始まる石油の採掘は,明治末から大正初期が最盛期で月産1万klをこえたが,その後採油量は激減した。1914年羽越本線,岩越線(現,JR磐越西線)が開通し,新津駅は信越本線を加えた3路線の接続駅として重要性が高まった。しかし60年代に新津駅の業務部門が縮小され,現在は旧新潟市のベッドタウン的性格が強い。97年には磐越自動車道が全通し,発展が期待される。周辺部は越後平野の米作地域であり,南西部の小合(こあい)はサツキ,アザレア,チューリップの特産地。
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新潟市西部の旧町。旧西蒲原郡所属。人口1万2365(2000)。越後平野の中心にあり,中央を信濃川の派川西川が流れ,自然堤防上に集落が発達する。中心地曾根は近世に長岡藩曾根代官所が置かれた地で,西川舟運の河岸町,市場町として栄え,鎧潟周辺の西川米の集散地でもあった。稲作を主とする農業地域であるが,旧新潟市に隣接し,JR越後線,国道116号線が通じるため旧新潟市のベッドタウンとして急速に住宅地化が進んでいる。国道沿いを中心に工場進出も著しい。

新潟市西部の旧町で,日本海に臨む。旧西蒲原郡所属。人口2万9486(2000)。西川流域に位置し,西部に角田(かくだ)山(482m)がそびえる。中心地の巻は近世には長岡藩巻組代官所の所在地で,西川の舟運の河岸町として栄え,北陸街道の宿場でもあった。1871年(明治4)郡役所が置かれた。東部の鎧潟は1958年から国営の干拓事業が進められて水田地帯となり,県の農業教育センター(現,新潟県農業大学校)が置かれている。砂丘地帯は古くからタバコの産地であり,旧新潟市を市場とした野菜,果樹の栽培も盛んである。角田山麓には大規模な八珍柿の栽培団地が造成されている。角田浜など海岸の集落は越後の薬行商人の出身地として知られた。角田浜の妙光寺は1313年(正和2)開基で,日蓮は佐渡配流時にこの地に漂着したという。越後七浦海岸は佐渡弥彦米山国定公園に属し,海水浴客を集めている。金仙(こんせん)寺裏にある菖蒲塚(あやめづか)古墳(史)は日本海側最北端の前方後円墳。北陸自動車道の巻潟東インターチェンジがあり,越後七浦シーサイドライン(1990年無料開放),JR越後線,国道116号線が通じる。

新潟市北東部の旧町。旧中蒲原郡所属。人口1万0795(2000)。1996年町制。阿賀野川下流西岸の沖積地にあり,かつては横越島と呼ばれ,亀田水郷の中島であった。沢海(そうみ)は近世に新発田藩の支藩が置かれた地で,阿賀野川の河岸町としても栄えた。現在の中心集落横越は1875年完成の横雲橋(現,永久橋)のたもとにあり,交通の要衝として発達した。洪水の常襲地であったが,享保年間(1716-36)以降の阿賀野川改修工事の結果,蒲原穀倉地帯の中心となった。94年から農業構造改良事業が行われ,カントリーエレベーターの建設などがすすめられた。旧新潟市に接することから野菜栽培も盛んである。沢海にある北方文化博物館は蒲原地方の大地主であった伊藤氏の旧邸である。
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新潟[県] (にいがた)

基本情報
面積=1万2583.81km2(全国5位) 
人口(2010)=237万4450人(全国14位) 
人口密度(2010)=188.7人/km2(全国34位) 
市町村(2011.10)=20市6町4村 
県庁所在地=新潟市(人口=81万1901人) 
県花=チューリップ 
県木ユキツバキ 
県鳥=トキ

日本列島の中央部,日本海岸に位置する県。東西80km,南北210kmと南北に細長く,ほぼ紡錘状をなす。面積1万2582km2は全国第5位で,北陸地方の富山,石川,福井の3県分に相当する。

県域はかつての越後・佐渡両国全域にあたる。江戸時代末期,越後には高田藩,新発田(しばた)藩,長岡藩をはじめ,三根山,村上,村松,椎谷,与板,糸魚川(いといがわ),黒川,三日市の11藩が置かれていたほか,新潟をはじめとする天領,預地,旗本領飛地が入り組んでおり,金山のあった佐渡は天領であった。1868年(明治1)越後の旧天領を管轄するため新潟裁判所が置かれ,まもなく越後府,新潟府と改称して北部を,新設された柏崎県が南部を管轄した。一方,佐渡には佐渡裁判所が置かれたが,その後佐渡県となり,さらに新潟府に併合された。また糸魚川藩は清崎藩と改称した。翌69年別に越後府が再置されて柏崎県を併合し,新潟府は新潟県と改称して新潟周辺のみを管轄した。しかし同年越後府と新潟県が合併して水原(すいばら)県となると,佐渡県(1871年相川県と改称)を分離,続いて柏崎県(越後南部5郡管轄)をも分離した。70年水原県が廃されて新潟県が再置され,次いで柏崎県が長岡藩を併合し,三根山藩は峰岡藩と改称した。71年廃藩置県を経て,高田,清崎,与板,椎谷の諸県は柏崎県に,新発田,黒川,三日市,村松,峰岡,村上の諸県は新潟県に併合された。その後新潟県は73年柏崎県,76年相川県を併合,さらに86年福島県から東蒲原郡を編入し現在に至る。

先土器時代では,神山型彫刻器の標式遺跡である神山遺跡(中魚沼郡津南町),荒屋型彫刻器の標式遺跡である荒屋遺跡(長岡市),木の葉状尖頭器,有舌尖頭器の出土した中林遺跡(十日町市)などがある。また縄文時代草創期では,これと同様の石器群が片刃石斧や隆線文系土器群と伴出した田沢遺跡(十日町市)がある。室谷洞穴(東蒲原郡阿賀町)では最下層からいわゆる室谷第一群土器が発見され,関東以外で初めて撚糸文(よりいともん)系土器以前の土器群の存在が層位的に確認された。小瀬ヶ沢(こせがさわ)洞穴(阿賀町)でも多数の層位関係が認められ,両面加工の木の葉状石槍,有舌尖頭器,局部磨製石斧などが出土している。本ノ木(もとのき)遺跡(津南町)では細身で両面加工の石槍が約1000点も出土しているが,出土する本ノ木式土器との伴出関係については議論が分かれている。最近調査された壬(じん)遺跡(十日町市)では円孔文土器と名づけられたこの時期の特殊な土器が出土している。

 縄文時代早期の卯ノ木(うのき)遺跡(津南町)は格子目文を主とする押型文土器と豊富な石器類を出土する。長者ヶ原遺跡(糸魚川市)は中期前半,長者ヶ原式土器の標式遺跡。縄文中期の遺跡も多く,馬高(うまだか)遺跡(長岡市)は〈火焔土器〉の名で知られる馬高式土器の,また栃倉(とちくら)遺跡(長岡市)は栃倉式土器の標式遺跡である。長方形大型住居址やクッキー状炭化物などの出土で注目される沖ノ原遺跡(津南町)もこの時期である。中期~晩期の寺地(てらじ)遺跡(糸魚川市)では日本最古の硬玉工房址や焼けた人骨のあるピット,巨大木柱などを含む特異な配石遺構が発見されている。三十稲場(さんじゆういなば)遺跡(長岡市)は縄文後期,三十稲場式の,三仏生(さぶしよう)遺跡(小千谷市)は同じく三仏生式のいずれも標式遺跡である。

 弥生時代では中期の山草荷(やまそうか)遺跡(新発田市)や終末期の斐太(ひだ)遺跡群(新井市),終末期千種(ちぐさ)式の標式遺跡で,種々の木器,植物遺物,卜骨などを出した低湿地遺跡,千種遺跡(佐渡市)などが重要。

 古墳時代では,山谷古墳(新潟市西蒲区)は県内唯一の前方後方墳であり,同時に県内最古(4世紀後半)の古墳。大和政権と結びついた西蒲原初代の首長墓と考えられ,また底部破砕の壺形土器列は埴輪列の祖形とみられる。その次の段階の前方後円墳として菖蒲塚(あやめづか)古墳(西蒲区)がある。内越遺跡(柏崎市)の古式土師器を出土する竪穴では,北海道の江別C1式土器が出土して注目される。

 歴史時代では渟足柵(ぬたりのさく)址(新潟市中央区)があり,磐舟柵(いわふねのさく)址は村上市と考えられている。それぞれ647年(大化3),648年に置かれたもので,日本海沿岸での対蝦夷東北経営のための置柵として最初のものである。
越後国 →佐渡国
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県の東部は標高1000~2100mほどの朝日山地,越後山脈,三国山脈が山形県,福島県,群馬県との県境をなし,南西部は標高2000m以上の飛驒山脈北部と筑摩山地,ならびに親不知(おやしらず)の険が長野・富山両県との県境をなす。その前面には一段低い新津(にいつ)丘陵,魚沼丘陵,東頸城(ひがしくびき)丘陵などの第三紀丘陵が県境山地を雁行状に縁取り,十日町盆地,六日町盆地などを含んでいる。最低部は扇状地と三角州の広い越後平野,柏崎平野,高田平野が並び,盆地がそれに連なるため県内では南北の交流は容易である。前面の日本海には佐渡島,粟島が浮かんでいる。

 新潟県は日本海側気候区に属しているが,県域が南北に長いための違い以上に,東西に並ぶ平野,丘陵,山地の間での違いが大きい。特に冬季,北西季節風の吹きつける県境山地や丘陵,盆地では豪雪地帯をなし,最深積雪が2m以上,根雪期間4ヵ月以上を示す地域が65%にも及ぶのに対し,佐渡島と越後平野では比較的雪が少ない。新潟県は北陸地方4県の中でも面積が広く,人口も多く,雪と人とのかかわりが大きいため,防雪林,市街地の雁木(がんぎ),消雪パイプ,除雪車などが早くから整備されてきた。一方,上越市高田は日本のスキーの発祥地であり,上越線沿線や妙高高原などには多くのスキー場が開設されている。また蓄積された山地の雪は貴重な水資源である。

 標高2000mをこえる急峻な県境山地は美しい自然が保たれており,国立公園は山形・福島県境に磐梯朝日,福島・群馬県境に尾瀬,群馬・長野県境に上信越高原,長野・富山県境に中部山岳の四つが指定されている。国定公園は越後三山只見と佐渡弥彦米山の二つ,海中公園は佐渡島の海府,相川,小木の三つがあり,また13の県立自然公園もある。

県内には越後,高田,柏崎の3平野と佐渡島に国中平野があり,穀倉地帯をなしている。耕地の75%が標高50m以下に立地し,水田に好都合な自然条件を備えている。1996年の経営耕地面積19万haのうち88%が水田,9%が畑,2%が樹園地で,水稲の作付面積,収穫量とも北海道に次いで全国2位である。米が農産物出荷額の1位を占める農家は92%と多く,水稲単作農業地域を形成する。しかし販売農家数10.8万戸のうち専業農家は8.6%にすぎず,そのうち基幹男子農業従事者のいない農家が64.1%に及ぶ。全国2位の米作りについては耕地整備と機械化に負うところが大きい。近世までの越後平野は〈3年に1作〉といわれるほど,ひどい水害常襲地帯であった。当時この平野を流れる自然河川は海岸砂丘に阻まれて出口をもたないものが多く,信濃川と北部の荒川だけが直接日本海に注いでいた。耕地の拡張,新田集落の建設は,近世期を通じて沼沢,低湿地の干拓をすることによって遂行されてきた。平野部の治水は阿賀野川の松ヶ崎掘割(1730)のように,砂丘地に分水路を掘り,出口のない河川の水を日本海へ放流することから始まった。洪水の多かった信濃川では近世以来何度か分水路の計画が立てられたが,着工されたのは明治になってからで,大河津(おおこうづ)分水路(新信濃川)は1922年通水を開始した。これによって信濃川の水位が2m下がったため,以後内水排除,耕地整理が著しく進展した。長岡市福島江の大規模用水路や,新潟市の近代的な新川排水機場(1972完成)など,用・排水施設をもった水田の耕地整備率は約8割に達している。それと同時に水田耕作の機械化,省力化も進み,ヘリコプターによる薬剤散布や大規模な乾燥調製施設の共同使用なども行われ,効果を上げている。

 水稲10a当りの収量は,大河津分水路が完成(1927)し,農林1号が登場した1931年以降,全国水準を上回るようになり,96年には537kgで全国6位である。コシヒカリ以下10品種が県の奨励品種に定められ,作付面積の8割以上が奨励品種で占められている。このような優良米産地のため自主流通米の割合がきわめて高い。畑作率は全国平均を下回るが,畑は砂丘地,自然堤防などに分布し,ブドウ,ナシ,モモなどの果樹や枝豆,スイカなどの野菜,チューリップ,クロッカスなどの花卉の栽培が発達している。

明治20年代から大正初期に,尼瀬,東山,新津の3油田の開発によって県の石油の産額は全国で首位に立ち,大正期から昭和30年代までは秋田県に追い越されたが,その後頸城,見附の新油田が発見され,天然ガス(新潟ガス田)も開発されて再び首位に戻った。開発地域は丘陵地から平野部に移り,さらに阿賀野川沖21kmの海底ガス油田に進展している。

 新潟県には信濃川,阿賀野川,荒川,姫川,三面(みおもて)川をはじめ約850の河川があり,80余の水力発電所があって全国有数の水力発電県である。しかし現在は火力発電が卓越して,火力,水力の割合は6対4であり,さらに柏崎市では1985年,原子力発電所の1号機の運転が開始された。県の工業近代化の基礎は石油,天然ガス,水力電気と鉱物資源の石灰石の存在に負うところが大きい。製造品出荷額は4兆8806億円(1995)で,北陸4県では1位,中部地方では5位を占め,主要工業は出荷額では電気機器,食料品,金属,一般機械,化学の順となっている。伝統工業のうち現在でも上位を占める食料品工業は米菓,ビスケット,清酒,かまぼこなど,いずれも農畜産物,水産物を原料として成立したものである。繊維工業は十日町盆地,六日町盆地などの農家の冬季の副業として小千谷縮(おぢやちぢみ),塩沢紬(つむぎ)など麻,絹,綿織物から始まり,明治以降機械化が進み,第2次大戦後は合繊織物,ニット製品にも発展したもので,生産地は山麓機業地帯を形成している。金属工業は燕(つばめ),三条の野鍛冶から発展して企業化したもので,燕市ではスプーン,ナイフなどの洋食器,三条市では作業工具,利器工匠具(大工用刃物)を特産する。ほかにすぐれた伝統産業として加茂市の和だんす,木製家具,村上市の堆朱(ついしゆ)などがよく知られている。近代的工業のうち化学工業では,明治20年代の石油精製工業の立地に伴い,その過程で化学肥料工業が成立し,有機合成化学工業を発展させた。戦後は天然ガス利用の化学工業が,新潟市,中条町(現,胎内市),上越市などに展開した。機械工業は石油採掘機械の修理,部品製造より発展し,一般産業用機械,農業用機械,金属加工機械,建設機械など,新潟市,長岡市,柏崎市が主体である。工業の展開につれて電力指向型は衰退し,1970年代以降電気機械,精密機械,輸送機械工業が伸び,電気機械が出荷額で1位(1995)を占めるようになった。妙高市の旧新井市に松下電子工業が操業し,長岡市や佐渡島にも電子工業が立地するなど先端産業が発展してきている。

県内は地形,位置,開発の歴史,行政,生活圏などから下越(かえつ),中越,上越,佐渡の4地方に分けられる。

(1)下越地方 県の北部を占め,越後平野の大部分と海岸砂丘,東部の丘陵,県境の飯豊(いいで)山地などからなる。積雪は山地を除くと平野部は比較的少ない。県都新潟市を中心に三条,新発田,加茂,村上,燕,五泉の7市と周辺の町村が含まれる。面積は県の42%を占め,人口は石川県よりも多く,146.2万(1995)で,県の59%を占める。かつて水害常襲地帯であった越後平野は信濃川の大河津分水路など日本海への放流や阿賀野川などの河道変更,土地改良事業などで,県最大の穀倉地帯となった。また下越地方は明治中期以降本格的となった新潟油田開発の歴史では中心的役割を果たし,製油業,機械工業,ガス化学工業が盛んである。1964年新潟市ほか4市5町11村は新産業都市の指定をうけ,信濃川河口の新潟港は特定重要港湾に指定され,北東岸一帯は臨海工業地区となっている。中心の新潟市は上越新幹線,北陸自動車道,磐越自動車道の起点,国道7号,8号線の分岐点にあたる北陸地方第1の都市である。

(2)中越地方 県の中央部で,信濃川中流域の中越平野(越後平野南西部),鯖石川流域の柏崎平野と越後山脈,魚沼・東頸城・西山の丘陵,および河岸段丘の発達する十日町・六日町・栃尾・小国の盆地からなる。長岡市を中心に柏崎,見附,小千谷,十日町,魚沼,南魚沼の6市と周辺の町村が含まれる。面積は県の35%にあたり富山県より広く,人口は64万(1995)で県の26%を占める。南部の魚沼地方は豪雪地で,南魚沼市の旧塩沢町出身の鈴木牧之の《北越雪譜》(1835-42)に当時の生活ぶりが紹介されている。長岡・柏崎両市の電気・一般機械,十日町市・旧塩沢町の高級絹織物,見附市と長岡市の旧栃尾市の合繊織物,ニット製品などの工業がある。中心の長岡市は,JR上越線,信越本線,国道17号,18号線,北陸・関越両自動車道の分岐点,上越新幹線の停車駅であり,道路整備,工業団地,ニュータウンならびにテクノポリスの造成が進み,県第2の都市として発展している。2004年の新潟県中越地震で,被害が特に大きかったのはこの地方である。

(3)上越地方 県の南西部,荒川(関川)流域の高田平野と東の東頸城丘陵,西の西頸城山地,中部山岳国立公園,上信越高原国立公園地域からなる。上越市を中心とし,糸魚川・妙高両市が含まれる。面積は県の17%にあたり,人口は30万(1995)で県の12%を占める。1893年には信越本線直江津~高崎間が開通,電源開発も明治末から昭和初期と早かったが,現在は県内での産業などの地位はそれほど高くない。荒川上流の関川水系を利用して高田平野の水田化が早くから進められた。またこの水系の豊富な電力を利用して流域の二本木(中郷村,現上越市),新井市,上越市直江津に化学工業がおこり,戦後直江津は臨海重化学工業地域へと発展した。上越地方は一般に多雪地帯で,また地すべり,天水田など環境条件が厳しく,出稼ぎ,離村が増加し,過疎地域となっている。中心の上越市の中でも18世紀に榊原氏の城下町として栄えた高田は,中小の地場産業があるほか商業地域的性格が強く,上越地方の行政・文化に果たす役割は大きい。

(4)佐渡地方 新潟市の沖合30kmの海上に浮かぶ佐渡島は,国府川流域の国中平野と大佐渡山地,小佐渡丘陵からなり,一島が佐渡市となっている。面積は県の7%にあたり,人口は7.5万(1995)で3.0%を占めている。近世までの佐渡国にあたり,西廻航路の中継地として関西と結ばれ,また佐渡金山が幕府直営であったため江戸とも結ばれていた。金山が衰退した第2次大戦後,佐渡は農業,水産業,観光産業を主としている。とくに1960年以降観光客が急増し,両津~新潟がジェットフォイルで1時間で結ばれるなど交通の便が良くなっている。金山の町として栄えた旧相川町は,現在は島の行政の中心としての役割を果たしている。国中平野,羽茂川流域と海岸段丘上は溜池の造成で水田化が進んでいるが,これは鉱山の水替え技術が導・配水に利用され,水路網が発達したためである。国中平野は順徳上皇をはじめ著名な流人の遺跡と神社仏閣が多い。両津湾の砂州上に立地する旧両津市は,佐渡の玄関口で,新潟市からの定期船を迎え,島内のバス交通の起点となり,また加茂湖のカキや,島周辺の漁獲物の集散地である。
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旺文社日本史事典 三訂版 「新潟」の解説

新潟
にいがた

新潟県中央部,信濃川河口にある県庁所在地。近世,日本海岸の港町として発展した
647年渟足 (ぬたり) 柵が置かれたころに始まり,戦国時代上杉謙信が港を築き新潟と呼んだ。1616年以来長岡藩が支配し,江戸廻米の寄港地として繁栄。1843年天領となり,新潟奉行が置かれた。'59年安政の五カ国条約により開港予定地となり,'68年開港。'89年市制施行。日本海沿岸最大の都市となる。

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世界大百科事典(旧版)内の新潟の言及

【越後国】より

…北陸道に位置する上国(《延喜式》)。現在の佐渡を除く新潟県に当たる。
【古代】
 大化改新以後つくられた越(こし)国の蝦夷に接触している地域で,7世紀の半ば阿倍比羅夫が蝦夷経営に活躍し,渟足(ぬたり)柵磐舟(いわふね)柵がつくられた。…

【越後国】より

…北陸道に位置する上国(《延喜式》)。現在の佐渡を除く新潟県に当たる。
【古代】
 大化改新以後つくられた越(こし)国の蝦夷に接触している地域で,7世紀の半ば阿倍比羅夫が蝦夷経営に活躍し,渟足(ぬたり)柵磐舟(いわふね)柵がつくられた。…

【佐渡路】より

…その産出量はとくに江戸初期に多く,幕府の重要な財源であったので,大量の金銀輸送,幕府役人等の通行のため重視される街道となった。佐渡路には中山道追分宿から分かれて出雲崎(いずもざき)に出る北国街道,中山道高崎宿から分かれて寺泊(てらどまり)に出る三国街道,奥州道中白河宿で分かれて新潟に出る会津街道の3道があって,出雲崎,寺泊,新潟が渡海場に当てられていた。佐渡御金荷は小木港から出雲崎に海上輸送されたあと北国街道を陸送されたので,北国街道は江戸初期に合宿継や寄馬制など特別な継立体制が確立した。…

※「新潟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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