日本大百科全書(ニッポニカ) 「東班衆」の意味・わかりやすい解説
東班衆
とうばんしゅう
中世の禅僧集団。中国宋(そう)代の寺院制度が移入された禅院内では教学詩文面を西班(せいばん)、経済活動面を東班が分かれて担当した。東班には最上位の都聞(つうぶん)の下に都寺(つうす)、監寺(かんす)、副寺(ふうす)、維那(いのう)、典座(てんぞ)、直歳(しっすい)の六知事が置かれ、これらと配下の禅僧を総称して東班衆とよんだ。現役の東班は、所属寺院に止住(しじゅう)して納所(なっしょ)、修造司、出官、免僧(めんそう)などの職掌を管轄し寺院経理に従事した。納所は米銭の出納をつかさどり、修造司は営繕監督にあたったが、出官と免僧の機能は未詳である。退任後の東班は、塔頭(たっちゅう)の経営や庄主(しょうす)といって寺領の代官に任ぜられる者もあった。なかでも相国(しょうこく)寺都聞のような最有力の東班衆ともなると、大荘(たいしょう)の庄主を歴任して徴税請負人となり、膨大な銭貨を蓄積して個人的な高利貸資本となった者もいた。幕府は彼らから随時献上銭や献物を徴収し、財源不足の補填(ほてん)なども行わしめたので、東班衆は室町幕府の財政や将軍家の家産に深くかかわっていた。
[今谷 明]
『今谷明著『戦国期の室町幕府』(1975・角川書店)』