東用村(読み)とうようむら

日本歴史地名大系 「東用村」の解説

東用村
とうようむら

[現在地名]龍野市揖保町東用いぼちようとうよう

今市いまいち村・西構にしがまえ村の南に位置し、南西は揖保川を挟んで袋尻ふくろじり(現揖保川町)揖西いつさい郡に属する。慶長国絵図に村名がみえる。領主の変遷は北龍野村と同じ。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)では池田輝政による内検地高九九四石余、高八二二石余。正保郷帳では田方七四二石余・畑方七九石余。元禄郷帳では高八七四石余。宝暦年間(一七五一―六四)の龍野藩領分明細帳(矢本家文書)でも同高で、うち永荒七四石余、反別は田方四六町九反余・畑方六町余、本免四ツ四分・古新二ツ五分、山札茶役銀一四匁八分余、家数一二八。当村は寛文一二年(一六七二)に次郎右衛門捌と三郎兵衛捌に分れ、三郎兵衛捌は延宝元年(一六七三)に宇右衛門捌と改称されたが、同六年再び一村となったという(「龍野藩領分明細帳」八瀬家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android