日本歴史地名大系 「東畦野村」の解説 東畦野村ひがしうねのむら 兵庫県:川西市東畦野村[現在地名]川西市東畦野一―六丁目・東畦野山手(ひがしうねのやまて)一―二丁目・見野(みの)一―三丁目・大和東(だいわひがし)・大和西(だいわにし)東畦野・長尾町(ながおちよう)多田院(ただいん)村の北に位置する。「日本後紀」大同三年(八〇八)七月四日条に「河辺郡畝野牧」がみえ、牧馬が外に出て民の稼に損害を与えるとしてこれを廃している。「住吉大社神代記」によれば、「宇禰野」は為奈(いな)河(猪名川)の記載から現川西市西畦野付近に比定される。また采女を遣わして柏葉を採らせたことから、采女山と称していたのが転訛したものという。嘉禎四年(一二三八)六月二四日の公文所奉行人連署奉書案(多田神社文書)に「東畔野下司職」とみえ、同職に国高が任じられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by