長尾町
ながおちよう
面積:四五・八八平方キロ
大川郡西部に位置する。東は寒川町・白鳥町、北は志度町、西は木田郡三木町、南は徳島県美馬郡脇町。南北に細長く、南部の多和・前山は讃岐山脈とその北部山麓でほとんど山林である。矢筈山(七八七・七メートル)と女体山(七七三・八メートル)の南面は大窪寺の霊山として保存されており、官営造林により整備された森林地帯となっている。
長尾町
ながおちよう
堀川通西側の町。現在は道の拡幅で町の東部は堀川通(旧堀川小路)に含まれた。南は椹木町通(旧中御門大路)。平安京の条坊では左京一条二坊二保五町の東の地で、官衙町の一つ「官厨家」の跡地(拾芥抄)。平安中期以降は勘解由小路堀川小路南の地。
寛永一四年(一六三七)の洛中絵図には「なん後町」、寛永一八年以前平安城町並図では「なかう丁」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」には「なるを町」と記され、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「長尾丁」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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