東福原村
ひがしふくばらむら
[現在地名]米子市東福原
上福原村の西にあり、南は米川を隔てて勝田村、北は美保湾に面する。近世後期頃までは西隣の西福原村とともに下福原と称された。下福原村は享和三年(一八〇三)新田村として独立(藩史)。文化六年(一八〇九)には岡田友曾が下福原村へ七ヵ年の在入を願出、許可されている(在方諸事控)。天保郷帳では海池村新田と注記される。本免は四ツ。米子荒尾氏の給地があった(給人所付帳)。明治二年(一八六九)領内限り東西に二分され東福原・西福原の二村と認められたというが(藩史)、それ以前幕末頃から東福原村の呼称は「在方諸事控」などにみえている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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