勝田(読み)かつた

精選版 日本国語大辞典 「勝田」の意味・読み・例文・類語

かつた【勝田】

  1. [ 一 ] 茨城県ひたちなか市の地名。もとは勝田市で、昭和二九年(一九五四)市制。平成六年(一九九四那珂湊市と合併してひたちなか市が成立。
  2. [ 二 ] 岡山県の北東部の郡。那岐山の南麓を占める。古くは「かつまた」といい、勝間田とも書いた。中世末、勝北(しょうほく)・勝南の二郡に分かれたが、明治三三年(一九〇〇)両郡合併して再び勝田郡となる。

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日本歴史地名大系 「勝田」の解説

勝田
かつた

高崎たかさき川支流の南部なんぶ川沿いの谷津田に展開した白井しらい庄の加納地。現佐倉市上勝田・下勝田を遺称地とし、近世に入ってからではあるが、直弥の宝金剛なおやのほうこんごう寺に北条氏勝が慶長二年(一五九七)一月に寄進した七条に白井庄和田わだ宝金寺、天正一九年(一五九一)二月六日の寒風村検地帳(佐倉市保管文書)に白井庄寒風さむかぜ村などとあることから、ほぼ旧和田村域を範囲とすると考えられる。建久年間(一一九〇―九九)の遷宮用途注進状(香取文書)に白井庄と「加納勝田」がみえ、香取神宮の遷宮にあたり作料として加納勝田に六〇斛が課せられているが、在地領主に対捍され未納であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝田」の意味・わかりやすい解説

勝田(茨城県)
かつた

茨城県中央東部、ひたちなか市西部の地区。旧勝田市。1954年(昭和29)勝田町が佐野村を編入して勝田市となり、1994年(平成6)那珂湊市(なかみなとし)と合併、ひたちなか市となる。JR常磐(じょうばん)線が通じ、ひたちなか海浜鉄道湊線を分岐する。西端にJR水郡線常陸津田(ひたちつだ)駅がある。国道は、西部を6号、海岸寄りを245号が走る。中世は水戸の吉田神社領となり常陸大掾(ひたちだいじょう)氏が支配、南北朝時代には佐竹氏の領となる。甲斐武田氏(かいたけだうじ)の祖は、この地の武田郷(ごう)から出たという。近世は水戸藩領で、棚倉(たなぐら)、磐城(いわき)、村松、湊(みなと)などの諸街道が分岐するため、馬渡(まわたり)、勝倉、田彦(たびこ)、佐和(さわ)、枝川(えだかわ)などの宿場町が栄えた。1940年(昭和15)に日立(ひたち)製作所の工場が進出し、以後、工業・住宅都市として発展した。国指定史跡虎塚古墳(とらづかこふん)など古代遺跡が多い。

[櫻井明俊]

『『勝田市史』全7巻(1975~1981・勝田市)』


勝田(岡山県)
かつた

岡山県北東部、勝田郡にあった旧町名(勝田町(ちょう))。現在は美作市(みまさかし)の北部を占める地域。吉井川支流の梶並(かじなみ)川流域にあり、津山盆地の東端を占める。中世は北半が梶並荘(しょう)、南半が小吉野荘。旧勝田町は、1940年(昭和15)町制施行。1955年梶並村と合併。2005年(平成17)英田(あいだ)郡の大原、美作、作東(さくとう)、英田の4町および東粟倉(ひがしあわくら)村と合併して市制施行、美作市となった。旧町名は古来の郡名にちなむ。国道429号が通じる。産業は農業が中心で、木材やシイタケミツマタなどの林産物にも富む。真加部(まかべ)は商業中心地で、メリヤス工場も立地している。梶並神社の当人(とうにん)祭は奇祭として知られ、県の重要無形民俗文化財に指定されている。

[由比浜省吾]

『『勝田町誌』(1975・勝田町)』

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改訂新版 世界大百科事典 「勝田」の意味・わかりやすい解説

勝田 (かつた)

茨城県北東部に位置し,県都水戸の北に接する旧市。1954年市制。1994年那珂湊市と合体して,ひたちなか市と改称。旧市域の大半は那珂台地に開け,畑地と平地林が目だち,南縁部を那珂川が流れる。1939年,日立製作所の鉄道車両,製鋼部門が立地,軍需工場として急速に拡大して工業都市化を促した。第2次世界大戦後,経済の高度成長下に日立製作所とその傍系の電気機器,自動車機器などの工場進出もめだち,工業団地の造成,従業員増加に伴う住宅地化も進み,常磐線勝田駅を中心とする商業地区も成立した。域内の工場群へは隣接市町村からの通勤者が多いが,行政・商業面では水戸への依存度が高く,衛星都市的性格を脱しえず,工業面でも日立地区工場群の派出的性格を残している。農業は都市化の影響をうけ,近郊農業の色彩をもつ一方,東部の台地ではサツマイモを原料とする乾燥芋を特産する。
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勝田(岡山) (かつた)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝田」の意味・わかりやすい解説

勝田
かつた

岡山県北東部,美作市北部の旧町域。中国山地南斜面の丘陵地にある。1940年町制。1955年梶並村と合体。2005年大原町,東粟倉村,美作町,作東町,英田町と合体して美作市となった。吉井川の支流梶並川の谷に沿って南北に細長く,ほとんどが山地で占められる。朝鮮からの渡来人「勝部」の開墾した土地「かちべた」が地名の起源といわれ,中世から近世にかけては梶並の荘と呼ばれた。梶並神社の当人祭(とうにんさい)は有名。農林業が主で,タバコ,木材,ミツマタなどを産する。久賀ダムがあり,美作台地の開発のための農業用水源となっている。北部は氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。

勝田
かつた

茨城県東部,ひたちなか市の那珂川にのぞむ地域。旧市名。 1994年那珂湊市と合体して,ひたちなか市となった。 1940年電機・兵器工場が建設されてから発展。車両,エレベータ,電気計器,テープレコーダなど電気機器の生産が多い。 61年南部の水戸市とともに都市開発地域に指定された。水戸の近郊住宅都市的色彩も強い。農村部ではムギ,サツマイモなどを産する。自衛隊駐屯地がある。馬渡埴輪製作遺跡,虎塚古墳はともに史跡。 JR常磐線,茨城交通湊線,国道6号線が通る。

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百科事典マイペディア 「勝田」の意味・わかりやすい解説

勝田[町]【かつた】

岡山県北東部,吉井川の支流梶並(かじなみ)川流域を占める勝田郡の旧町。農林業が主で木材,タバコ,シイタケ,ミツマタを産する。上流の梶並地区は広大な山林地域で木地屋集落もある。2005年3月英田郡大原町,美作町,作東町,英田町,東粟倉村と合併し市制,美作市となる。87.29km2。3891人(2003)。

勝田【かつた】

ひたちなか[市]

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