東羽賀村
ひがしはがむら
[現在地名]高郷村大田賀
只見川を挟んで西羽賀村の対岸東方に位置し、河沼郡坂下組に属した。越後街道の脇道勝負沢越道が通り、西羽賀村とを結ぶ同街道の渡船場が置かれていた。かつて集落は海老屋敷の地にあったが、天文五年(一五三六)の洪水で田畑および家作三三軒を流失する被害に遭い、現在地に移転したという(「高郷村史」など)。その後、北方の堰沢村(現山都町)境までも開墾し、谷地中・中沢田・藤沢など集落から離れて点在する耕地が生れたという。また古くは単に羽賀村と称していたと伝える。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では稲川郡のうちで向羽賀とあり、高一七七石余。寛永一〇年(一六三三)当村同様その頃羽賀村を称していた西羽賀村と区別するため、会津藩主加藤明成の命で東羽賀と改めたという(高郷村史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 