日本歴史地名大系 「東追分村・西追分村」の解説 東追分村・西追分村ひがしおいわけむら・にしおいわけむら 静岡県:浜松市旧敷知郡・引佐郡地区東追分村・西追分村[現在地名]浜松市和地山(わじやま)三丁目・城北(じようほく)二―三丁目・布橋(ぬのはし)一―二丁目富塚(とみつか)村の東、三方原を南北に通る本坂通と富塚村に至る道の分岐点にある。東追分村・西追分村をあわせ追分村と称し、また名残(なごり)村とあわせて名残追分新田村とも称された。浜松藩領で、明和九年(一七七二)の城附領分村々高帳写では東追分村の高一四石余、西追分村の高一〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報