東長洲村(読み)ひがしながすむら

日本歴史地名大系 「東長洲村」の解説

東長洲村
ひがしながすむら

[現在地名]尼崎市長洲西通ながすにしどおり一―二丁目・長洲本通ながすほんどおり一―三丁目・長洲中通ながすなかどおり一―三丁目・長洲東通ながすひがしどおり一―三丁目・杭瀬北新町くいせきたしんまち三丁目・潮江しおえ一丁目・はま一丁目

中長洲村の東に位置し、中国街道が中央を北東から南西に通った。寛永一二年(一六三五)長洲村が東長洲・中長洲・西長洲・大物だいもつの四ヵ村に分けられて成立したというが(尼崎市史)、慶長国絵図に村名がみえる。尼崎藩領として明治に至る(尼崎市史)正保郷帳では高七九三石余、ほかに新田高三六石余。小寺村ありと注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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