日本歴史地名大系 「中長洲村」の解説 中長洲村なかながすむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区中長洲村[現在地名]尼崎市長洲西通(ながすにしどおり)一―二丁目・長洲通(ながすどおり)一―三丁目・長洲中通(ながすなかどおり)一―三丁目・長洲東通(ながすひがしどおり)一―三丁目・杭瀬北新町(くいせきたしんまち)三丁目・潮江(しおえ)一丁目・浜(はま)一丁目金楽寺(きんらくじ)村を隔て西長洲村の東方、大物(だいもつ)村の北に位置する。中国街道が村の中央を南北に通る。寛永一二年(一六三五)に長洲村が西長洲・中長洲・東長洲と大物の四村に分けられて成立したといい、尼崎藩領として明治に至る(尼崎市史)。正保郷帳に村名がみえ高三二〇石余。寛文九年(一六六九)頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)によれば家数五四・人数三三九。天保九年(一八三八)の巡見使通行用留(岡本家文書)によると氏神は天満宮、祭礼は九月二九日。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by