日本歴史地名大系 「長洲村」の解説
長洲村
ながすむら
文明八年(一四七六)のものと思われる年月日未詳の長洲床野地前田之内神のを方注文(永弘文書)によれば、当地には大明神(現長洲神社)・
長洲村
ながすむら
西と南は有明海に面し、
「肥後国風土記」逸文に「玉名郡長渚浜在郡西」とみえ、景行天皇が当浜に泊したことが記され、「肥前国風土記」にも「在肥後国玉名郡長渚浜之行宮」とある。村の起源伝承として「国誌」には永暦元年(一一六〇)
寛永(一六二四―四四)頃に舟五九(二七は三端四端の間、三二は漁舟)を有し、水夫一二七がおり、江戸初期には郡内屈指の湊であり、漁業色の強い村であったことが知られる。
長洲村
ながすむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報